ニューサイクリング 1975年7月号(No.128)

本日の1冊

今回は「ニューサイクリング 1975年7月号」を取り上げます。

ニューサイクリングの1975年7月号は、通巻128号です。

この号のグラビアは「もう一つの道楽6〈ボランティア〉」「志摩の潮風」「南志賀の林道」です。

通巻128号の目次をページ順に追うと、

14 アダルト向きの散歩用車 軽量プロムナードの試作

22 阿武隈の道

30 八溝山系から南阿武隈

34 夏井川のほとりにて

36 連載 NOUVELLES DE PARIS

42 レース 世界の強豪と競輪選手 来日した2人のトップスプリンター

60 イタリアれぽーと

64 連載 路傍の文化財

66 連載 この頃考えていること

72 126号の宿題の解説

78 メカ UNIVERSAL-CX サイドプルブレーキの新製品

80 旅 木ノ芽峠から越前海岸

86 製品メモ

87 VÉLO SPOT

88 LETTER TO EDITOR

となっています。

主な記事の内容を以下にご紹介します。

※各ページの題名が目次と異なる場合は、本文の題名を表記しています。


「軽量プロムナードの試作」

この記事は、今井編集長が自身の自転車として製作したプロムナードに関するものです。冒頭では、この頃の自転車があまりにも年少者向けに片寄っているので「中年アダルト用のモデルとして」発想したことを述べています。編集長がこの車を製作するにあたっては「プロムナードタイプの車にすること」「できるだけ軽くすること」「極力日本の部品を使うこと」と三つの条件を挙げて、その条件とした意図を解説しています。出来上がった自転車に関しては、フレームおよびアッセンブルを一覧表で掲載、主要な部分に関しては個々に説明を加えています。


「阿武隈の道」

この文は「特集紀行 阿武隈と八溝山系」と称した、紀行文のひとつです。筆者はクラブツーリングの為、列車とバスを乗り継いで梁川に降り立ちました。ここで自転車を組み、松阪峠を目指して走り始めます。峠の頂に着くと先行している仲間の野点の跡を見つけ、ペダルのピッチを上げて進みます。途中で笹峠への道と先行している仲間のことを地元の人に聞きますが、仲間の事は知らず峠行は強く止められます。さらに下ったところにある万屋で話を聞いた後店を出ると、笹峠を目指した仲間が峠越えを断念して下りてくるのを発見します。その後は5台で闇に呑まれた中村街道を進み、ようやく掛田に宿を見つけることができました。翌日は予定していたコースを短縮して宿川俣町まで走り、3時頃には宿に入りました。翌日は富岡街道を一気に走り抜け、このツーリングのメインイベントである風越峠へ向かいます。道は雪が厚く、自転車を押し上げて峠まで進みます。峠の頂で食事をした後は下りにかかり、この日も早目に宿に入ります。最終日は都路街道を走り、最後は阿武隈のことを想いながら帰途に就きました。


「八溝山系から南阿武隈」

この文は「特集紀行 阿武隈と八溝山系」と称した、紀行文のひとつです。筆者は今までと違う所に行って見たいと思い立ち、阿武隈へ向かいます。初日は列車を乗り継いで宇都宮まで、そこで腹ごしらえしてから走り始めます。道を軽快に走って、まずは益子に立ち寄り、土産に焼き物を買ってからこの日は茂木町に一泊しました。翌日は茂木の街を徒歩で散策してから自転車で走り始めます。2時間ほどで小川に到着、ここでお茶を入れて休憩したあと八溝山を越えて湯岐鉱泉まで進み、ここの宿に泊まりました。翌日は阿武隈山中を走り、当初思い描いていた景色を堪能してから高萩駅まで下りて上野行の列車を待ちました。


「夏井川のほとりにて」

この文は「特集紀行 阿武隈と八溝山系」と称した、紀行文のひとつで、当時、ゼブラ自転車の取締役で夏井川のほとりに住んでいた筆者による阿武隈の溪谷での暮らしや周辺でのサイクリングのことを綴っています。


「NOUVELLES DE PARIS」

この文は「パリからの便り」と称した、加藤一氏執筆による連載です。今回は「随想IV パリ・ルーベイ」と題して、始めは筆者の語学力と渡仏後のフランス語習得について、それからこの年の「半分シクロクロスだった」と各新聞が表現したパリ・ルーペのレース展開をメルクスとブラマンクのゴール前の白熱した競り合いも含めて伝えています。


「世界の強豪と競輪選手」

この記事は、全日本プロ選手権自転車競技会にメカニックとして参加したシマノサイクルレーシングクラブ所属の岡島伸平氏によるレポートです。その内容は、競技会参加の為来日したジョン・ニコルソン選手とペーター・ペデルセン選手の活動を中心に練習内容から試合模様までを伝えています。また記事の最後には「世界の強豪に聞く」と題し、編集部が行ったニコルソン、ペデルセン両選手へのインタビューを掲載しています。


「イタリアれぽーと」

この記事は当時イタリア在住だった小林保明氏による、イタリアからの報告です。ひとつ目はミラノで見かけたTAURUSという自転車のこと。二つ目は毎日のように自転車店を回り歩いていた時の話で、その中の1件に東京オリンピックのイタリアチームメカニシャンをしていた人がおり、「東京オリンピック写真集」を見せてあげたこと。三つ目はカンパニョロの2本ロッドの変速機をつけた自転車を街で見つけてオーナーとしばらく会話したことや、あるイギリス人がその変速機を付けて作ったデローザのことを長澤氏から聞いた話。四つ目は国立科学技術博物館を訪れ、展示品にあったコッピが実際にレースに使用した自転車等を見た感想。最後はイタリアの近況を綴ってレポートを締めくくっています。


「路傍の文化財12」

この文は、筆者がサイクリングの際に見てきた路傍の文化財を紹介していく企画の連載です。1972年から1973年にかけて連載されていた企画記事の続編です。連載第12回は「開田高原の碑を探る」と題して、地蔵峠の地蔵さん、末川の祭場、三岳村の祭場、黒川の崖の中の馬頭観音を紹介しています。


「この頃考えていること5」

この記事は、アルプスの萩原慎一氏の執筆による連載です。今回は「参謀本部の地図」と題して、筆者がデパートの古地図即売会で買い求めた翻刻版の「大日本帝国参謀本部陸軍測量部」の二万分の一地図について面白いと思ったところをいくつか紹介しています。


「なぜ前ブレーキの方がよく効くのか?」

この記事は、126号で鳥山氏から出された宿題について多数寄せられた中から5名の解答を誌上で紹介するとともに鳥山氏の各解答に対する批評も掲載しています。


「新型サイドプルブレーキ UNIVERSAL CX」

ここでは、横尾双輪館にサンプル入荷したユニバーサルの新型ブレーキを写真と共に紹介しています。


「ツーリングレポート 木ノ芽峠から越前海岸」

筆者は、朝京都を発った特急に乗って敦賀駅に到着します。ここから旧北陸線跡の道路を走り新保の集落を過ぎてから登りにかかります。急な坂を1時間ほど押して木の芽峠に到着します。この後は雪の残る北面を下り福井まで移動しました。翌日は、九頭竜川の堤防を走って東尋坊へ向かいます。その後は、越前海岸を走りユースホステルに入ります。次の日はペアレントとともに港に出かけてサバの水揚げを見学した後は越前海岸唯一という砂浜でのんびりし、最後は山を越して武生まで走ったあと、車中の人となりました。


「製品メモ」

こちらは自転車部品や用品などを紹介するコーナーです。今回は、晴海の自転車ショーに展示された、石渡製作所と東レの共同開発によるカーボンファイバーのフレーム試作品などを取り上げています。


「VÉLO SPOT」

このコーナーは今井彬彦編集長が当時の自転車界についての様々な話題を取り上げるコーナーです。今回は「基本を守ろう」と題し、当時グループサイクリングで起こった死亡事故を受け、ツーリングプランの作成、また自転車のあり方について基本を知っていることの大切さを説いています。


「LETTER TO EDITOR」

このコーナーは、読者から編集部あてに寄せられた便りを紹介しています。今回は、なぜ自転車に乗るんだろうという投稿者なりの解釈が寄せられています。


1975年7月号の裏表紙広告は、ブリヂストンサイクル工業「ダイヤモンド・レイノルズシリーズ」でした。

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