ニューサイクリング 1975年9月号(No.130)
本日の1冊
今回は「ニューサイクリング 1975年9月号」を取り上げます。
ニューサイクリングの1975年9月号は、通巻130号です。
この号のグラビアは「もう一つの道楽8〈コレクション〉」「サイクリング写真におけるモティーフとしての逆行」「戻ってきたロードレース」です。
通巻130号の目次をページ順に追うと、
16 連載 NOUVELLES DE PARIS
24 うわさのうわさ・・・その結末は ヨーロッパ75年の様子は
32 連載 この頃考えていること
44 連載 路傍の文化財
46 高校教師からひとこと サイクリングクラブの顧問を引きうけて
52 サイクリングで写真を撮る人のために カメラの運搬方法
56 趣味と実益を兼ねたモデルの試作 軽量スポルティーフ
64 サイクリングの装備■その4 シュープレートについて
69 メカ プロムナードを見て
80 旅 大菩薩越え
84 JCAの在り方について
86 製品メモ
89 VÉLO SPOT
90 LETTER TO EDITOR
となっています。
主な記事の内容を以下にご紹介します。
※各ページの題名が目次と異なる場合は、本文の題名を表記しています。
「NOUVELLES DE PARIS」
この文は「パリからの便り」と称した、加藤一氏執筆による連載です。今回は「随想VIIIツール'75」と題して、この年のツール・ド・フランスのコース概要と見どころを紹介。他にも1903年から1974年までの各年の選手数、区間数、距離、優勝者、平均速度などを載せた一覧表と共にツールの歴史、ツールの生まれた背景やこれまでのトピックも取り上げています。
「うわさのうわさ・・・さてその結末は」
この記事は「激動の75年 欧州自転車業界のその後」と副題を付けた、杉野安氏執筆による1975年2月号の「杉野安のヨーロッパレポート」の中で書いたうわさがどうなっているか、その後の実際を杉野氏自らが報告しています。その内容は、オーストリアの2大メーカーのゆくえ、フランスの二つの高名なメーカーが消えたことやプジョー系列とルノー系列の勢力図、ヨーロッパレース界のことについてレポートしています。そして、1975年の4月からミラノに滞在している、当時杉野に在籍していた長義和選手の動向も伝えています。また杉野氏の記事の後には、長選手から杉野氏にあてた手紙を公開しています。
「この頃考えていること7」
この記事は、アルプスの萩原慎一氏の執筆による連載です。今回は「雑学のたのしみ」と題して、自転車で旅に出た時に役に立つであろう知識を筆者の考える雑学と定義し、その雑学として天気図のこと、台風の進路について述べています。
「路傍の文化財14」
この文は、筆者がサイクリングの際に見てきた路傍の文化財を紹介していく企画の連載です。1972年から1973年にかけて連載されていた企画記事の続編です。連載第14回は「六地蔵」と題して、首から赤い腹掛けをかけ、帽子をかぶった愛らしい姿の六体の地蔵様について解説しています。
「高校教師からひとこと サイクリング同好会の顧問を引き受けてから」
この記事は、大学を卒業して地元北海道の教師となった筆者から届いた、高校サイクリングクラブの活動実態を知ってもらうためにNC誌に寄せたレポートです。
「写真を撮る人のために カメラの運搬方法」
この記事はサイクリング写真集団に所属する筆者による、当時主流であった一眼レフカメラと交換レンズの運搬方法について解説しています。
「趣味と実走を兼ねたモデルの試作 そして近頃考える事」
この記事は、今野義氏による実測重量8.5kgの軽量スポルティーフ製作記です。冒頭では筆者が自転車を創る時に考える事について持論を述べています。自転車のことについては、フレーム、ホイール、チェンホイール、サドル・ハンドル、ブレーキ、変速機と分類して細かく解説しています。
「シュープレートについて」
この記事は1975年3月号から始まった特別企画「装備について」のその4となります。今回は、前回取り上げた靴と関連するものとしてシュープレートを取り上げています。ここでは最初にシュープレートを使う意味やその効果、そしてサイクリングに使用することの適否について触れています。次にシュープレートの種類や靴への取り付け方とその際の注意点、あわせて当時市販されていたシュープレートを写真入りで14点紹介しています。
「今井氏の車にひとこと プロムナードを見て感じた事」
この記事は、前々号で紹介された今井編集長のプロムナードを編集長の自宅で見、また一緒に走った筆者による、このプロムナードに関する印象と批評を綴ったものです。
「ツーリングレポート 大菩薩越え」
この文は、新田眞志氏によるツーリングレポートです。筆者は相棒とともに新宿発の列車に乗り、初鹿野駅まで輪行した後サイクリングを開始します。まずは甲州街道を走ったあと、日川林道に入ります。しばらくは舗装路でしたがやがて未舗装となり、乗ったり押したりしながら進むことになります。途中で食事をした後は四年前に間違えた分岐を正しく進み、上日川峠まで登ります。このあとは大菩薩峠を目指して押しながら進みますが、やがて本格的な山道になり、苦しい担ぎ上げを1時間ほどやってようやく峠の山小屋に辿り着きます。山荘にはサイクリスト用の登山ノートがあり、主人に記入を頼まれたのでペンを走らせます。そうしていると上日川峠で会ったサイクリストがやって来たのでノートを渡して峠を下り始めます。しかし下りも途中は道が荒れており、担ぎを何度も繰り返し最後は急斜面を自転車を滑り落して進みながらして、日暮れ頃ようやく林道に出ます。林道はバッテリーランプを灯して下っていき、ようやく小菅に取った旅館に到着しました。
「JCAの在り方について」
この記事は当時のJCA専務理事が、1975年5月号の読者からの投書に対して答える形で、JCAの考え方を述べています。
「製品メモ」
こちらは自転車部品や用品などを紹介するコーナーです。今回は、サンツアーの「サイクロン」のWレバーとリアディレイラー「サイクロンGT」、ぺラン・マイヨールのハブ「プロフェッショナル」等を取り上げています。
「VÉLO SPOT」
このコーナーは今井彬彦編集長が当時の自転車界についての様々な話題を取り上げるコーナーです。今回は「これでいいだろうか」と題し、当時自転車の歩道通行が可能となったことに対して疑問を呈しています。
「LETTER TO EDITOR」
このコーナーは、読者から編集部あてに寄せられた便りを紹介しています。今回は、犬越路の近況、盗難車捜索依頼等が寄せられています。
1975年9月号の裏表紙広告は、ブリヂストンサイクル工業「ダイヤモンド・レイノルズシリーズ」でした。
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