ニューサイクリング 1977年10月号(No.155)
本日の1冊
今回は「ニューサイクリング 1977年10月号」を取り上げます。
ニューサイクリングの1977年10月号は、通巻155号です。
通巻155号の目次をページ順に追うと、
12 ●メーカーを囲む スポーツ車部品議論を振りかえって● 国産部品の現実と将来への希望
26 ピエール・シャニー休載の記 著者と訳者はベネズエラでどんな話を
34 フランスサイクリング界の現状レポート
40 ピエール・ロック氏との会見記
42 甲斐の山奥で その(1)
47 止揚の空間
52 十文字峠を越える
56 連載 これくたーというものは
84 ●軽量車の限界を試すための● 富士スバルラインタイムトライアル
92 バイシクル・ホリディ・イン・デンマーク
94 秋の十里木
96 GIRO D' ITALIA '77
104 連載 堀田君の旅から旅(小川峠・岐阜)
106 私のフランス遊記 パリであった人々
122 えっせい
124 会報すくらっぷ
124 LETTER TO EDITOR
130 REAR LAMP
となっています。
主な記事の内容を以下にご紹介します。
※各ページの題名が目次と異なる場合は、本文の題名を表記しています。
「国産部品の現実と将来への希望」
この記事は、部品メーカーの人と業界関係者の人を招いて、いろいろ部品について話そうという企画で7回の連載を行ってきた「メーカーを囲む スポーツ車部品論」のまとめとして行われた座談会の記録です。座談会は司会が今井彬彦編集長、そしてセオサイクルの瀬尾正忠氏、いちかわサイクルの市川博保氏、東叡社の星野次郎氏、アルプスの萩原浩氏、自振協技術研究所の井上重則氏の出席によって行われています。今回は「部品論議をかえりみて(前編)」と題し、フレームパイプ、スポーク、規格の統一、当時の部品メーカーの姿勢等の話題を中心に議論されています。
「ピエール・シャニーの連載が休みの記」
この文は、レキップ紙の専属記者ピエール・シャニー氏による、ヨーロッパのレース界情報を届ける連載の邦訳を担当している柴野邦彦氏による世界戦レポートです。当時、プロサイクリスト・ナショナルチームマネージャーを務めていた筆者は「著者と訳者はベネゼエラでどんな話をしたか」と題して、世界戦の舞台となったベネズエラでピエール・シャニー氏と会い、移動途中のトラブルについて報告し合ったり、翌日は取材に来ていた今井氏と昼食をとりながらシャニー氏の連載は休載させてもらうこととなった顛末を報告しています。そして世界戦のトラックでは、快調に勝ち進んだ日本のプロスクラッチのことをレポートしています。
「フランスサイクリング界の現状レポート」
この記事は、当時数少ない自転車・サイクリングのジャーナリストと呼ばれていたミシェル・ドロール氏によるレポートです。ここでは当時のフランス自転車競技連盟(FFC)とフランス自転車旅行連盟(FFCT)他のライセンス所持者数を紹介したうえで、FFCとFFCTの統一計画、そしてその計画に対するFFCTの態度を示しています。また、フランスのサイクルツーリスト達の中で最も有名な「ツール・ド・フランス・デ・ランドヌール」のイベント紹介、そして参加者の増加によって発生してきた問題点や、今後のフランス自転車界の課題などを提起しています。
「ピエール・ロック氏との会見記」
この文は、当時のフランスFFCT副会長であるピエール・ロック氏による著書「Du Soleil dans Mes Rayons」からの一節を紹介するコーナーで邦訳を担当している馬越善通氏が、フランスを訪れて初めてのロック氏との出会い、そして「Du Soleil dans Mes Rayons」の一部を翻訳することとなったいきさつを述べています。
「甲斐の山奥で(1)」
この文はある夏の日に、笛吹川の上流にある温泉に仲間数人で集まることとなった筆者によるサイクルツーリング紀行です。今回は初日に筆者が寝坊して待ち合わせに遅れ、仲間に見捨てられたところから予約していた温泉宿に辿り着くまでのことを綴っています。
「止揚の空間」
ここでは「独断と偏見の峠論」と副題を付けて、筆者が独自の峠論を展開しています。ここでは筆者の考えを「「山」の意識は日本人の様々な心情に少なからずオーバーラップする」「山の中で峠は最も人間の臭いが満ちている場所である」「『峠とは事物を止揚する空間である』と書きたい」の3つの題として挙げ、筆者がそう考える根拠を述べています。
「十文字峠を越える」
この記事は道中の様子を筆者が綴り、サイクリング写真集団に所属する同行者が道中を撮影した、信濃川上から十文字小屋まで、さらに秩父湖まで走ったサイクリングの景色を伝えるカメラ紀行です。
「これくたーというものは!」
この文は今井編集長執筆による、自身の二十数年にもなるという自転車コレクションについて綴っています。今回は「これくしょんVII ミニチュア」と題して、筆者のコレクションからミニチュアの自転車11点と指輪を1点紹介しています。そして今回が最終回として、最後はまだ紹介していないものとして、シャツ、ネクタイ、スカーフ、マフラー、エプロン、靴下、書籍、クラブのバッチやペナント、メダルなどがあり、これらはまたの機会に紹介にしたいといって連載を締めくくっています。
目次にはありませんが、75ページには「製品MEMO」が掲載されています。このコーナーでは、自転車部品や用品などを紹介しています。今回は、ケルビム製の新型フォーククラウン、雨具用の新素材としてゴアテックスが開発されたことを取り上げています。
目次にはありませんが、76ページからは「CHAMPIONNATS DU MONDE DE CYCLISME '77」と題した記事が掲載されています。この記事はベネズエラで開催された世界選手権のロードレースの模様を写真とともにレポートしています。
目次にはありませんが、80ページからは「房総の林道Part IV 東大演習専用林道」と題した記事が掲載されています。この記事は、清澄山門手前から入って走った林道を写真とともに紹介するフォトサイクリングレポートです。
目次にはありませんが、82ページには「躍動」と題した写真を掲載しています。この写真はサイクリング写真集団の原氏が撮影した、52年度全国高校自転車競技の1000mタイムトライアルで高校新を出した選手の走りを写した1枚です。
「軽量車の限界を試すための 富士スバルラインタイムトライアル」
この記事は、実用に耐え、そして軽い自転車を持ちたいと願っているサイクリストの夢を実現しようという企画で、編集部が参加資格7kg以下という規定で参加者を募集。当日はシクロウネの今野義氏と牧野政彦氏、そしてシマノの長谷部雅幸氏が参加してのタイムトライアルが行われました。自転車の重量は今野氏6.15kg、牧野氏約6.8kg、長谷部氏約6.9kg。トライアルの結果は、牧野氏、長谷部氏の順でゴール、今野氏はパンクによるリタイアとなりました。そして、ダウンヒルは悪天候のため、中止となりました。
「バイシクル・ホリデー イン デンマーク」
この文は、筆者がデンマークで開催された国際学会に参加した前後に、コペンハーゲン周辺を自転車で走った時のことを綴っています。
「秋の十里木」
この文は、御殿場から富士と愛鷹山の鞍部を通って吉原へ至るまでの道のことを綴ったエッセイです。
「GIRO D'ITALIA'77 今年のジロを振り返って」
この記事は当時ミラノ在住だった宮沢清明氏による、ジロ・デ・イタリアのレースレポートです。冒頭では自転車とジロの歴史やジロの歴代コース設定に触れた後、5つのマイヤーについて説明しています。この年のジロについてはメルテンスの動向について、総合トップから落車リタイアまでと、その後のレース展開を伝えています。
「堀田君のガイド風紀行 旅から旅 ●奥美濃小川峠(岐阜) 両側から被さる山」
この文は、以前訪れた郡上八幡での思い出と、間瀬から小川峠へ上るまでの様子を綴っています。
「私のフランス遊記」
この記事は今井彬彦編集長が1か月程フランスに滞在した時のことを色々と綴ったエッセイです。今回は「パリで逢った人たち」と題して、ギョーム女史と、Fédération Française de Cyclotourisme(FFCT)の人々のことを綴っています。
「えっせい」
ここでは、読者から募集したエッセイを紹介しています。今回は、「オリジナリティとその雑感」と題して、趣味の自転車にオーナーの個性を出そうと肉抜きや穴あけ加工をすることに対する意見を綴っています。
「会報すくらっぷ」
このコーナーでは、各地のサイクリングクラブの情報を紹介しています。今回はアルプスサイクルフレンズ、北大阪サイクリングクラブ、港サイクリングクラブ、ペンギンサイクリングクラブ、両国サイクリングクラブ、名古屋サイクルフレンズ、仙台ロードマンクラブの各クラブから会報情報が寄せられています。
「LETTER TO EDITOR」
このコーナーは、読者から編集部あてに寄せられた便り等を紹介しています。今回は、各種パーツを取り上げた記事に対する意見、アーレンキーという名称の由来に対する疑問、自身の記事に対する批評に対する返答が寄せられています。
1977年10月号の裏表紙広告は、ブリヂストンサイクル「ユーラシア スポルティーフ」でした。
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