店主プロフィール(クルマ編)

 このブログは「自転車とクルマ」に関する古物商の開業を目指す店主のブログです。

今回は、店主プロフィール、特にクルマに関することについて記そうと思います。

クルマの免許を取得したのは18歳。翌日が19歳の誕生日で、あと1日待てば免許の有効期間が実質1年長くなったのに。でも、当時は18歳で免許を取ったと言いたくて。

免許は18歳で取ったものの、学生時代は友人のクルマやレンタカーを借りて運転することしかありませんでした。やっと自分のクルマを持てたのは、22歳でした。

学校を卒業した後は、15年ほど、クルマ関係の業界で仕事しておりました。

初めは自動車販売会社に就職。スポーツモデルを主に扱う新車ディーラーに出向配属となりました。バブル期の後期で、先輩営業マンはお客さんが「ハンコ持って並んでいる」ような勢いで新車が売れていました。

自分も二桁の受注を取った月もありましたが、そりほどパッとしませんでした。さらに、バブルがはじけた後はますます成績が落ち、かろうじてゼロ戦を飛ばすこと(受注ゼロ)が無いといった成績でした。

営業成績は芳しくありませんでしたが、周辺業務に関しては、失敗もあったものの最終的には良い結果に繋げることができました。

営業マンの周辺業務としては第一に下取り車の査定があります。査定に関しては失敗からのスタートで、初めて下取りしたクルマの事故歴を見逃して大幅赤字を計上。これを機に、査定技術の向上に励みました。

翌年は、営業マンによる査定コンクールの県大会で上位入賞。県代表として営業マン全国査定コンクールに出場し、部門最優秀賞を獲得することができました。

この時期は、会社が全社的に査定技術の向上に取り組んでいる時期でした。そんな折、私が販売チャンネル別で全国1位になったことで、会社は他の会社に対して全国的に査定に関するプレゼンスを示せたようです。おかげで会社幹部や関係会社の上位職層にも名前を覚えていただけたようで、その後のキャリアに多少なりともプラスになった気がします。

もう一つ、営業マンの周辺業務、会社にも本人にも収入に直結するものとして保険があります。当時は、保険資格と手数料率がリンクしており、上位資格を取得すれば、会社も本人も手数料収入が増える仕組みでした。

この保険資格は、営業マン時代に初級、普通、上級と取得。転勤後に同じディーラーの本社部門へ異動となった後は、特級(一般)資格を取得。この時代は保険会社の営業マンでも特級資格を保有している方は多くは無かったようです。

また、この時期は保険会社の生損保乗り入れが自由化された時代でした。そこで、生命保険資格もいくつか取得しました。これらによって自社は幹事保険会社に対するアピールが出来ていたようです。その成果かは分かりませんが、幹事会社担当者の自社への訪問回数と顧客紹介数件数が増えた気がしたのは、本当に気のせいかもしれません。

当時のディーラーは、特定のメーカーの特定の車種しか扱うことができませんでした。それに対してモヤモヤを感じてしたところに、友人からある誘いがきました。

「インターネットで新車の販売仲介サービスを日本で始めようとしているベンチャー企業がある。その会社が業界経験者を探しているのだけれども興味はないかい」

このオファーをもらってからベンチャーへ転職するまで、多くの時間はかかりませんでした。転職当時、この会社はヤフー自動車にクルマ情報のコンテンツを提供していました。それを足がかりに、アメリカで発祥したインターネットによる自動車販売仲介業とそのサイト立ち上げを始めたのです。

社長以下、我々は勇んで全国を回り、自動車ディーラーを対象とした説明会を実施しました。しかし、創業間もないベンチャー企業にそれほどの資金はありません。そこで、社長は支援をお願いに某IT大企業へ赴きました。ちょうどその折り、SB社とMS社が自動車販売仲介サイトを共同で立ち上げようと相談していたようです。そこへ、飛んで火にいる夏の虫のごとくベンチャーの社長がやって来たので、あっという間に私の参画した新事業は大手に買収され、私も移籍することとなりました。

移籍後は、当初営業としてメーカー・インポーターへの営業を担当しました。新宿と広島には良く通った記憶があります。立ち上げが落ち着いてからは、編集部へ異動となりました。ここでは、自動車カタログ情報コンテンツのデータベース管理や新車情報の執筆等を担当しておりました。なかでも、読者からの質問コーナーの回答者として記事を執筆した、クルマ博士のなんでも質問箱というコンテンツは、多くのページビューをいただくことができました。

プライベートでは、アメリカで人気のストックカーレースが好きで、テレビ放映を見るだけでは飽き足らず、国内ではツインリンクもてぎのスーパースピードウェイへよく走りに行っており、走行距離は500マイルを超えました。海外では、米国カリフォルニア州にあったメサマリン・レースウェイのストックカースクールを受講し、本場のNASCARレイトモデル、スーパーレイトモデルでの走行を経験しました。

また、ボランティアでレーシングスクールのスタッフを務めており、オーバルスクールの際は、サブインストラクターを務めたりしておりました。

自動車遍歴は、日本・ドイツ・イギリス・アメリカ・スウェーデンのクルマを現在までに23台乗り継いできました。

現在は、日本でNASCARレースの放映が行われなくなってしまいました。また、ダートオーバルレース(USACやワールドオブアウトロー等)に至っては、ほとんど知られていないと思います。といって、じゃあアメリカへ見に行こうということも難しい状況になっています。世界が、早く今の状況を克服して、また以前のように海外旅行ができるようになってほしいものです。そうしたら、ずっと行きたいと思っているNASCAR Hall of Fame訪問とCoca-Cola 600、そしてDaytona500観戦を実現したいです。

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