ニューサイクリング 1963年10月号(No.7)

本日の1冊

今回は「ニューサイクリング 1963年10月号」を取り上げます。

ニューサイクリングの1963年10月号は、第7号です。

この号の表紙は「碓氷峠新ドライブウエー」です。

第7号の目次をページ順に追うと、

口絵 峠を下る楽しみ

 6 特集・多段変速自転車の時代 一段と前進した日本のスポーツ車の現状とその流れ

16 カンパニョロ(イタリー) 全製品カタログ紹介

24 サイクリングエッセイ2 カメラと整理

28 自転車切手の話(2)

32 3年かゝった房総半島一周紀行(2)

36 第5回国立公園大会参加記

44 ルポ 三浦半島・ヨットハーバー訪問記

46 ルポ 志賀高原・渋峠ツーリング

50 レースエッセイ 近づくオリンピックのために(2)

57 新車紹介 ケンコーレコードエース

58 第1回全国スポーツ少年団大会

66 交換案内

68 サイクリング東西南北

72 パニアーバッグ

76 編集後記

となっています。

主な記事の内容を以下にご紹介します。

※各ページの題名が目次と異なる場合は、本文の題名を表記しています。

「特集・多段変速自転車の時代 一段と前進した日本のスポーツ車の現状とその流れ」

この頃、各社から相次いで多段ギヤ付きの自転車が発表されました。そこで編集部では、日本のスポーツ車もいよいよ本格的な体制に入ってきたということで、まとめて車種という見方とその傾向が何を意味するかという点から紹介しようという意図の特集です。

当時のスポーツ車は、フロントがシングルでリアが4段・5段フリーというのが一般的でした。それに対してフロントディレイラーを付け、フロントギアを多段化したものが登場してきました。その多くをフロントダブルとした8段・10段ギヤでしたが、中にはフロント4段というチェンホイールも発売されていました。

特集では各社の10車種が取り上げられています。それをご紹介すると「アルプス・ロードキング(アルプス自転車工業)」「エバレスト・チャンピオン(土屋製作所)」「ケンコー・レコード・エース(光風自転車)」「ゼファー・ゴールデンゼファー(東京サイクリングセンター)」「サンノー・エミネンザ(高橋商店)」「フジ・ツアーデラックス(日米富士自転車)」「ホルクス・R(横尾双輪館)」「マルイシ・ベルファスト(丸石自転車)」「ブリヂストン・スーパースピードI型(ブリヂストンタイヤ)」「ワンダーフォーゲル・ロードマン(城東輪業)」となっています。記事ではこれらを「旅行用」「スピード用」「レース用」と分け、それぞれのタイプが持っている特徴を紹介した後に各車の特徴を解説しています。


「カンパニョロ(イタリー) 全製品カタログ紹介」

このコーナーは第5号から始まった、日本の自転車を向上させるために、また使う人の目を肥やすために外国製品をよく見て研究するための一助になればとの編集部の意図からカタログを紹介しています。

カンパニョロ社は当時、そして現在に至るまで世界トップクラスの製品とされています。紹介しているカタログはNo.14で、大きさはA4サイズで総ページは40ページ、表紙はロードレースの写真となっています。記事では各ページの内容を写真とともに紹介しています。各製品は見開き2ページで掲載されています。各ページを順に追っていくと「ロード用セット(レコード)」「トラック用セット(レコード)」「グランスポルトセット」「スポルトセット」「グランスポルト・リアディレイラーと分解図」「スポルト・リアディレイラーと分解図」「レコード・フロントディレイラーと分解図」「グランスポルト/スポルト・フロントディレイラーと分解図、」「ハブ(クイック式スモール・ラージフランジ、ナット式ラージフランジ)と分解図」「チェンホイールセット」「コッタレス/コッタード・ボトムブラケットセット」「ヘッドパーツとペダル」「シートピラーとロード/トラックエンドセット」「ケーブル類とバンド各種、ポンプペグ」「各種専用工具」「工具セットとバイト類」「ポンプ取付位置図とサドル・ホイール位置寸法割出治具、ギヤテーブル」「ロード・トラックのチェンライン図」が掲載されています。


「ツーリング・エッセイ」

前回号から始まった、主として写真の事、旅の事、荷物の事、整理のことなどについて書いた連載のエッセイです。今回はカメラと写真の整理ついて綴っています。最初はカメラについてで、戦前から戦後にかけての筆者のカメラ遍歴や、そのころの製品の品質などを振り返っています。次に写真の整理法、当時はネガフィルムでその種類も様々だったので、ネガフィルムの整理保管方法と紙焼きの整理保管方法それぞれについて書いています。


「自転車切手の話(2)」

この記事は前号から続く連載で、今回はシリーズ切手として最も長くそして多く出しているという「国際平和自転車競走記念切手」を紹介しています。1948年の第1回から1962年の第15回大会記念のものまでの一部を写真とともに紹介しています。


「3年かかって一周した房総半島 第2回」

「特集・サイクリング記行」と題した企画の紀行文のひとつで、連載となっています。筆者はまとまった休暇が取れず、2日の休暇を3回と日帰り1回の合計7日間を費やして房総半島を一周します。昭和33年続く2回目の房総サイクリングは昭和36年の正月、クラブの仲間と千葉で待ち合わせサイクリングを開始します。市原を通って小湊鉄道に沿って走り、上総中野を通過して安房小湊のユースホステルに入ります。翌日は初もうでをしてから出発し、前回走れなかった千倉までの道のりを走ります。さらに白浜まで行ったところで夜となったので、仲間は宿泊場所を確保し、筆者は翌日の仕事のために千倉まで戻って家路につきます。


「第5回国立公園大会参加記」

この文は和田文平氏による、この年の7月終わりから宮崎のえびの高原で開催されたイベントに参加した時の様子を伝えるものです。筆者はJCAの関係者として同大会に参加しました。初日は羽田から他の関係者とともに宮崎へ飛びます。宮崎についてからはバスで市内へ移動し、宮崎サイクリング協会の方々の案内でその日の宿がある青島へ自転車で走って行きます。翌日は早朝に起きだし、堀切峠まで走りに行きます。海沿いに走って峠を越えた後は内海港まで足を延ばし、さらに巾着島のある野島まで行きます。その後は朝食をとりこどもの国で遊んで集合時間の11時に宮崎駅前に到着します。そして、ここから国立公園大会のプロローグが始まるとして、次号へ続きます。


「サイクリングレポート 三浦半島一周と油壷ヨッテル訪問記」

WCCに所属する大学生が夏休みの終わりに日帰りサイクリングに出たレポートです。メーターの走行距離が3909kmを示している自転車に乗り、9時半に東京の自宅を出た筆者は金沢八景、横須賀、久里浜を経由して1時半に油壷に到着します。ここでヨット利用者専用のホテルに出くわします。その入り口でうろうろしていると自転車に付けたペナントを見た管理人から招き入れられます。ヨットハーバーに降りてみるとマーメイド号を見つけます。聞くと、ロケのために造られたもので石原裕次郎が来ているはずだだということでした。油壷を出た後は城ケ島まで走り、そこで遅めの昼食を食べたあと家路につきます。帰宅したのは8時過ぎで、メーターは4064kmとなっていました。


「サイクリングレポート 志賀高原・渋峠・白根ツーリング」

佐渡サイクリングクラブのクラブ員による、上信国立公園志賀高原へツーリングへ出たレポートです。初日のレポートは信州中野から始まり、湯田中、渋の温泉街を通り丸池に到着します。この先は当初、発哺から東舘山までロープウェイで登る予定でしたが、だいぶ遅れているため熊の湯に取った宿に直行することにします。翌日は雨でしたが強行して出発します。自動車道を走り、分かれ道からはのぞき小屋へ自転車を押しながらさらに上では担ぎもして登っていきます。小屋に到着後は、腹ごしらへをしたり休憩してから渋峠へ向かいます。渋峠ヒュッテについてからおじさんに話を聞くと近くまで白根スカイラインが工事されてきているとのこと。スカイラインへ出てからは順調に下り、草津に到着して二日目が終わったところでレポートを終えています。


「サイクルレースエッセイ 近づくオリンピックのために【2】」

この文は高橋長敏氏の執筆によるもので、自転車競技に関するものを中心に綴っています。今回からは連載で、街道練習を行っているレーサーたちの会話という設定の物語を綴っています。今回の話題はレース中の補給食について、メンバーの一人が決定的なものをひとつ知っていると言ってそのレシピをメンバーに公表します。次の話題はオリンピックの参加意義について、勝敗は問題ではないという人もいるが自分たちはひとつでも多くのメダルを取りたい。その為には千磨必死の訓練以外にないといっています。


「新車紹介 ケンコーレコードエース」

この記事は各社の新車紹介コーナーです。ここでは光風自転車が発表した2車種を取り上げています。「ケンコーレコードエース」は、スピード用でイギリスのスペシャルクラブモデルに属する車種です。シブイチのホイールと1001ミリのショートホイールベース、フロントは50X48のダブルでリアは15-24Tの5段で10段変速となっています。「ケンコースーパー8」は、旅行用としての特別な部品は使わない広い用途を狙ったツーリングタイプで、こちらのギアはフロント48X36、リア15-26Tの4段で8段変速となっています。


「第1回全国スポーツ少年団大会」

この年の7月に一週間にわたって御殿場で開催された大会の各日の様子を参加した少年たち7人が綴った文章で伝えています。初日は会場となる御殿場の青年の家に全国から集合し開会式が行われました。2日目は午前中にハイキングに行きます。どこに行ったのかはよく覚えていないという事ですが、片道2時間半歩いたようです。午後はサイクリングでしたが、ちょっと嫌なことがあったそうです。午後はサイクリングの他にバレー、フォークダンス、ピンポン、ソフトボールなどがあって自由に選択することになっていました。3日目はスポーツテストの日です。このテストは文部省が決めたもので、種目は50メートル徒競走、走り幅跳び、ハンドボール、けんすい、水泳か1500メートル走の5種目です。夜は講堂で、「闘魂の記録」というオリンピック選手養成の風景を撮影した映画を見ました。この日まではテント泊でした。4日目は、バスで富士山周辺の各所を観光して回ります。青年の家に戻るとテントをひきあげて宿舎に移ります。5日目は午前中から講演を聞きます。その後は翌日の富士登山に向けた注意などがあり、夕食後はすぐに就寝となります。6日目は午前2時起床で富士登山へ出ます。宿舎からはバスで移動し、五合目には日の出頃に到着します。登山は何人か体調を悪くするものが出たが、事故は無く正午近くに全員頂上にたどり着きます。夜は閉会式を兼ねたキャンプファイヤーがありましたが、疲れのせいかいま一つ盛り上がりませんでした。最終日は帰るだけなので、朝食後は順次帰路について大会が終わりました。


「交換案内」

自転車や部品の売りたし買いたしのコーナーです。今月は売りたしコーナーにカンパニョーロのフロントディレイラーが2点出ているのが目を引きます。


「サイクリング東西南北」

このページは、各サイクリング協会並びに各クラブの交換の場所としてニューサイが提供しているページです。今回は「オリンピックを迎えるみんなの会」が主催するオリンピック前年祭りの開催案内、南関東サイクリングラリーの開催要項他、各地のクラブから寄せられた情報が掲載されています。


「パニアバッグ」

このコーナーは、読者に開放されているページです。今月号はレース記事掲載の要望やクラブ紹介問い合わせ等が来ています。また、投書とは別で「双輪の旅」と題した綿貫益弘氏のエッセイが掲載されています。


1963年10月号の裏表紙広告は、日米富士自転車の「富士サイクリング車シリーズ」でした。

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