ニューサイクリング 1964年1月号(No.8)

本日の1冊

今回は「ニューサイクリング 1964年1月号」を取り上げます。

ニューサイクリングの1964年1月号は、通巻8号です。

この号の表紙は「ポタリングのひととき」です。

通巻8号の目次をページ順に追うと、

口絵 木曾路ツーリングアルバス

10 夜叉神峠野呂川林道を行く

14 三年かかった房総半島一周(最終)

18 第5回国立公園大会参加記

26 北九州一周ツーリング

33 サイクリングレポート 富士五湖周遊記

35 サイクリングレポート 伊豆半島横断記

38 ツーリング・エッセイ 映画8ミリその他

58 外国カタログ紹介 ゲーラン(フランス・完成車)

65 外国カタログ紹介 マファック(フランス・ブレーキ)

70 レース・エッセイ オリンピックへの期待

74 社会人ロードレース参加記と感想

75 新製品紹介

78 PRの頁

80 交換案内

84 サイクリング東西南北

86 パニア―バッグ

となっています。

主な記事の内容を以下にご紹介します。

※各ページの題名が目次と異なる場合は、本文の題名を表記しています。


「夜叉神峠野呂川林道を行く」

アルプスの萩原慎一氏による、山岳サイクリングのメッカといわれるルートを行くサイクリング紀行です。筆者は午後の11時に甲府を出発し、夜通し走って明け方頃に先行しているクラブメンバーが泊まる桃ノ木鉱泉に到着します。筆者がここを訪れるのは昭和11年、34年に続いて3回目、湯船につかって2時間ほど寝ると朝食に起こされます。朝食後一行は出発し、野呂川林道へ向かいます。途中、野呂川林道入口の碑の前で写真を撮り、800メートルの登りにかかります。峠の茶店で一息入れ、本当の峠まで歩きで往復した後に林道サイクリングを再開、夜叉神隧道、観音隧道を抜けます。前回はここで引き返していますが、今回はこの先の道へ踏み込んでいきます。そしてここを走った筆者は、この林道はスケールの大きい豪快の一言に尽きるコース、是非一度走ることを勧めたいといっています。野呂川橋を渡ってからは下りに入り、やがて奈良田の集落に到着します。この日はここに宿を取り、筆者は翌日以降の行程を述べて紀行を締めくくっています。


「3年かかって一周した房総半島 第3回」

筆者はまとまった休暇が取れず、2日の休暇を3回と日帰り1回の合計7日間を費やして房総半島を一周します。昭和33年、昭和36年の正月に続く3回目の房総サイクリングは、昭和36年の7月。近所の中学生と二人でぶらりと走りに出ます。久里浜からフェリーに乗って金谷に着いた二人は南下して冨浦に宿を取ります。翌日は早朝に出発し、冨浦、勝山、保田、竹岡、天羽を海沿いに走って大佐和町に入ります。ここでも海沿いのルートを取り、坂を上ると東京湾観音が見えてきます。ここからさらに富津へ回る予定だったが、時間の関係で青堀への道を取ります。青堀から木更津に入りここで昼食にします。昼食後は国道へ出て姉崎、五井、千葉街道へ入って東京へ戻ってきて房総半島一周を終わっています。


「第5回国立公園大会参加記」

この文は和田文平氏による、この年の7月終わりから宮崎のえびの高原で開催されたイベントに参加した時の様子を伝えるものです。筆者はJCAの関係者として同大会に参加しました。「えびの高原」での大会ですが、開会式は雨のために短縮され、その後のスケジュールも中止となり夜の営火の集いのみが行われました。翌日も雨で、朝の挨拶が行われた後は活動隊の野外行動他すべてが中止され、繰り上げ解散となってしまいました。解散後、筆者はサイクリング班の各自の行動へ移ります。えびの高原のバスターミナルでグループ員6名が集合し、林田温泉に向かって走り出します。霧島スカイラインを走って高千穂河原で食事をとり、そこからさらに降って鹿児島の市内に入ります。鹿児島駅前では鹿児島サイクリング協会の方に出迎えを受け、宿へ案内してもらう前に市内観光をします。翌日は桜島へ渡りサイクリングをします。大正溶岩、昭和溶岩を巡った後は北部は回らずに桜島口から垂水市に向かいます。垂水まで走った後は市内を観光し、フェリーで鹿児島へ戻ります。鹿児島ではサイクリング協会の方に厄介になって自転車を発送し、筆者はバズで指宿へ移動します。指宿到着後は宿探しをして、通りすがりの人に聞いて勧められたホテルに投宿したあとは「砂蒸し」を体験します。翌日はクルマで観光をしてから、列車で鹿児島へ戻ります。そして、鹿児島サイクリング協会の方々との集いに出席して意見交換を行いました。その後は空港へ行き、2時半過ぎの飛行機で鹿児島空港を飛び立ち、この参加記を終えています。


「北九州一周ツアー記」

法政二高サイクリング愛好会のメンバー4人が、2週間のツーリングを行ったレポートです。初日は下関で自転車を受け取るところから始まります。ところが筆者の自転車は無く、よく探してもらうと別の倉庫にあり、しかもディレイラーがスポークに食い込んで動きません。運送会社の保証によって何とかその日のうちに修理ができ、出発となります。関門トンネルを抜けて門司へ、さらに小倉から若戸大橋を渡って目的地の若松で宿を取ります。翌日からは若松から小倉、中津を経由して耶馬渓泊。耶馬渓から中津経由で別府へ向かいますが、途中でメンバーの一人が日射病でダウン。医者が来て注射を打ったら回復したので、再出発して予定通り別府に着いて泊まります。4日目は休養を兼ねて別府見物で地獄巡りをします。観光後まだ時間があったので大分市へ移動、ここで宿泊場所が確保できたので大分泊となります。翌日は山へ向かい、峠を二つ越えて竹田に泊まります。翌日は自転車店で修理・点検してから出発、阿蘇の外輪山を越え忙中駅で野宿します。翌日は阿蘇の噴火口見物をして熊本市内へ向かいます。途中でツーリング帰りの大学生と出会い、家に泊めてもらうことになりました。翌日は一人がリタイアしたため、熊本城見物をしてから3人で出発となります。宇土から三角港へ行き、島原へ渡ります。その日は船員に頼み込んで二等船室に泊めさせてもらいます。翌日は島原から海岸線を走り、諫早を経由してこの日の目的地である長崎市内に入り宿を探します。そして、前日と同様に船室に泊めてもらいます。翌日は長崎の市内観光をした後に諫早に移動してお寺に泊まります。翌日は有明海沿いに鹿島、佐賀へ抜け、この日もお寺に泊まります。残りも二日となったこの日は佐賀を出発してから鳥栖を抜けて福岡市内へは昼前に着きます。ところがこの日は宿泊場所の確保にてこずり、何とかお寺に泊めてもらうことができました。最終日は福岡から八幡を経由して小倉から門司へ、関門トンネルを通って下関に入り、運送会社へ自転車を預けてツーリングを終了しています。


「サイクリングレポート 富士五湖独走記」

11月、筆者は友人と約束してサイクリングに行く予定をしていたが、待ち合わせ場所である新宿に友人は現れず一人で走り始めます。甲州街道を走って高尾に到着したところで食事をとり、大垂水峠を越え相模湖を経由して大月に昼頃到着します。さらに富士吉田、河口湖から西湖へ向かいます。西湖では予約していなかったけれども、ユースホステルに泊まることができます。そこで世界一周を目指してヒッチハイクいるスイス人に出会います。筆者は自分の自転車にはスイスのワイマンのブレーキがついているといって話が盛り上がり、仲良くなります。翌日は鳴沢を通って富士吉田を目指します。河口湖ではスイス人のヒッチハイカーと再会します。河口湖から富士吉田、さらに山中湖へ至る頃から風が出てきます。何とか御殿場に到着し芦ノ湖経由で小田原へ出ようとしますが、ガソリンスタンドで道を聞くと強風の中では無理なので小山町を通り秦野を抜けて平塚に出るのがよいと勧められたので、そのルートを取ります。出発しようと自転車の向きを変えるとまた例のヒッチハイカーに出会います。お互い挨拶を交わした後、筆者は勧められたルートを辿り、無事帰宅します。


「サイクリングレポート 伊豆半島横断記」

筆者は横浜を出発して戸塚、藤沢、辻堂を経て湘南道路で小田原まで走り、ここで食事とします。食事と自転車の整備を済ませた後、出発し箱根の登りにかかります。途中までは何とか走って上ったもののそのあとは押し歩きとなります。頂上を過ぎてからは元箱根まで下ります。関所跡を見学しようと寄ったところ、会社の人たちと出くわします。一緒に食事をとった後は三島へ向かい、さらに宿を取ってある伊豆長岡へ無事到着します。翌日はまず修善寺に向かい、さらに八幡から伊豆スカイラインの建設地を過ぎ、その日の難所である冷川峠にかかります。峠を越えてからは熱海を目指しますが、網代あたりから雨が降ってきます。それでもかまわず走り続け、熱海と小田原で食事をとりつつ6時過ぎ無事横浜にたどり着きました。


「ツーリング・エッセイ」

これは、主として写真の事、旅の事、荷物の事、整理のことなどについて書いた連載のエッセイです。今回は筆者が繰り返し見た映画を紹介しています。この映画では自転車が大活躍している、なかでもグリーンのタンデムには賞を挙げたいくらいだといっています。そして、筆者はそれに刺激されてソロを作る前にタンデムを作ってしまいます。話は変わり、次は写真の鑑賞方法についてで、ネガとポジ、プリントと映写それぞれの特徴を挙げながら比較しています。さらに話は8ミリの話になります。筆者は旅行費用にためたお金を使って「キーストンK22」を手に入れます。8ミリの質や駆使できるテクニックは16ミリに比べるべくもない。しかし、8ミリ独特の特徴は生かせるといってそれらの事柄を述べています。


「カタログ紹介 ゲーラン フランス」

「ゲーラン」は完成車メーカーで、フランス語で鷗の意味です。カタログの自転車を描いているのはダニエル・ルブールで、表紙には「高級専門」と大書きしてあります。また、「ルイ・モアール」と製作者の名前も書いてあるので、いわゆる手作りに近い高級車であることをうたっています。カタログには10車種が出ており、各車種を紹介すると「CYCLO-SPORTIF-TYPE FEDERAL」「CYCLO-SPORT ALLEGE GRAND LUXE」CYCLO FEDERAL」「CYCLO RANDONNEUR ALLEGE」「PORTEUR GRAND LUXE ALLEGE SPORT」「PORTEUR SPECIAL PARISIEN」「COURSE-INTERCLUBS」「COURSE SUPER PROFFESIONNEL」「DAME VILLE LUXE」「SPECIAL POUR ENFANTS」となっています。最後のページには「SPECIALITES "GOELAND"」という特製品のキャリアが掲載されています。


「カタログ紹介 マファック」

「Manufacture Arvernoise de Freins & Accessoires pour Cycles」社の頭文字をとったMAFAC(マファック)の製品は、当時世界一級のブレーキとして名声が高く、特にレース用のブレーキとして有名でした。ここで取り上げているカタログは1963年のものです。最初はこの年の新製品として登場した「トップ63」です。軽合金の鍛造で5年保証付きと謳っているセンタープルブレーキです。次は「レーサー」で、この製品は長い間その性能を誇っており、センタープルの古典ともなっています。次はカンティレバーブレーキの「クリテリウム」と「ドライバー」です。カンティは本体の取付台座をフォークやシートステーに溶接しなければならないので、旅行車などのオーダー用高級品となっています。カンティは更にモーターバイク用、タンデム用、子供用も掲載されています。ブレーキレバーは、フーテッドレバーが4種と半パットが3種類、それにオポジットレバーが載っています。次ページから順に製品を見ていくと、ギドネットレバー、フラット用レバー、ホイールの大きさによるカンティレバーブレーキの台座取付位置寸法表、携帯スパナセットとそれらが使われる場所を示す自転車の図が掲載されています。


「サイクルレースエッセイ 近づくオリンピックのために【3】」

この文は高橋長敏氏の執筆によるもので、自転車競技に関するものを中心に綴っています。今回は、オリンピックにおける自転車競技での成績予想を語っています。日刊紙ではメダル1個と出ていたが、筆者は銀メダル2個に銅メダル2個くらいになるのではないか、千米独走とスクラッチは有望であるといっています。ロードは個人は見込みがあるのではないかとしています。ただしそのためにはトレーニングの量が足りないともいっています。機材に関しては、自転車は他国に比してもそん色ないレベルに来ている。しかし、ホイールは結線しておらず、これはヒュー・ポーターも大変まずいと云っていたとあります。筆者はスクラッチやタイムトライアルに出場する際は、車輪組立て後に何度か使用して慣らした後に針金で縛ってハンダ付けする処理を直ちにするべきだと語っています。


「第4回社界人ロードレース参加記」

これはシチズン時計チームに所属する筆者によるレース参戦記です。高橋長敏氏からレースの事を聞き、先輩から勧められたので、仕事の後にトレーニングを続けて、レースに出場します。スタート後の落車を避けてトップグループを追う位置で走りますが、2周目を回った後でパンクに見舞われリタイアとなってしまいます。


「新製品ガイド」

今回は、三ヶ島の軽合ペダル「ユニーク」、三光舎のフロントディレイラー「PA」、藤田サドルのプラスティックサドル、GBのステムとハンドル、太平サドルの革サドル、吉貝の「ダイヤフロントディレイラー」などを紹介しています。


「PRコーナー」

このコーナーでは自転車に関する書物などを紹介しています。その一部をご紹介すると、シマノ工業が作成した「自転車を楽しくする内装式変速機」「3スピードハブ修理早見表」「遊星ギヤ機構模型」、杉野鉄工所の「フロント多段ギヤの話」、自転車産業協会の「サイクリングハンドブック」等です。


「交換案内」

自転車や部品の売りたし買いたしのコーナーです。今月は売りたしコーナーに完成車が17台、全体の掲載ページが4ページと、このコーナーへの投書が活発になっています。それに合わせ、編集部は「交換案内について」と題したコーナー利用に際しての注意事項を載せています。


「サイクリング東西南北」

このページは、各サイクリング協会並びに各クラブの交換の場所としてニューサイが提供しているページです。今回は「大阪サイクリング協会」が行ったスキルテストの実施報告や、各地のクラブから寄せられた情報が掲載されています。


「パニアバッグ」

このコーナーは、読者に開放されているページです。今月号は読者から「D²XD²(デーバイデー)」のパイプについての質問が寄せられています。他にも問い合わせや紙面に対する要望等が掲載されています。


「社会人ロードレースに出場して感じた事」

目次では「第4回社界人ロードレース参加記」とともに掲載されていることになっていますが、この文は88ページに掲載されています。筆者は大会にメーカーから提供された自転車で出場しましたが、重くまた途中でローへ変速しなくなってしまいました。この当時、カメラ、時計、オートバイ、トランジスタラジオは世界に名を轟かせていました。そこで筆者は、自転車・部品メーカーもそのような製品を作るべきと声を大にして言っています。


1964年1月号の裏表紙広告は、日米富士自転車の「富士サイクリング車シリーズ」でした。

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