ニューサイクリング 1964年4月号(No.9)
本日の1冊
今回は「ニューサイクリング 1964年4月号」を取り上げます。
ニューサイクリングの1964年4月号は、通巻9号です。
この号の表紙は「ミニチュアサイクル」です。
通巻9号の目次をページ順に追うと、
口絵 ツーリングアルバム 木曽路
10 エッセイ パッケージ・旅・その他
15 紀行 日本縱断始末記
22 エッセイ 空想と紀行
24 紀行 私達二人の伊豆半島一周記
30 中級講座 スポーツ車、部品の寸法
34 外国カタログ紹介 プジョー(仏・完成車)
36 外国カタログ紹介 レイノルズ(英・フレームチューブ)
40 外国カタログ紹介 ジョス(仏・ランプセット)
56 新製品メモ ケンコートラベラーズ・スキッター・ニューマックス・ランドナータイヤ・スピーデック・カスタムハンドル・スポンクリップ
59 サイクリングレポート 椿の名所 大島を訪ねて
60 サイクリングレポート 津久井溪谷、相模湖回りラン
61 サイクリングレポート 埼玉-宮城県20時間の走行
62 サイクリングレポート 東京-大阪-名古屋完走記
64 交換案内
68 PRコーナー
70 サイクリング東西南北
74 パニア―バッグ
79 いじわるせくしょん
となっています。
主な記事の内容を以下にご紹介します。
※各ページの題名が目次と異なる場合は、本文の題名を表記しています。
「ツーリング・エッセイ」
これは、主として写真の事、旅の事、荷物の事、整理のことなどについて書いた連載のエッセイです。今回は旅についてです。昔から必要に迫られての旅は行われてきたが、レジャーとしての旅が始まったのは江戸時代中頃からではないかと筆者は推測しています。そしてその旅も「お伊勢参り」や「みやこ見物」等の目的を楽しみものであり、また経済的、安全上の問題などから団体旅行であった。現代においても会社またサイクリングにおいても団体旅行の形式が盛んだが、筆者の考えるサイクリングはもっと個性的であるべきだとしています。話は変わってサイクリング時のバッグとパッケージについてです。筆者は主にサドルバッグを使っており、携行品とパッケージングについて筆者流の方法を披露しています。
「私の日本縱断始末記」
これは筆者が東京ー静岡を2回、そして東京ー高知、鹿児島ー高知、稚内ー東京を走ったツーリング紀行です。当時学生で静岡在住だった筆者は軽快車で2度、静岡から東京まで走ります。これで自信をつけた筆者は東京から実家のある高知まで走ることを計画します。東京にある親せき宅に泊まった翌日、朝早く出発し回り道をしながらも葉山の叔父ところへ到着。翌日は箱根峠越えはやめ、真鶴道路から熱海そして熱海峠を越えて三島まで走り旅館に泊まります。翌日は静岡を通って浜松まで走って友人宅へ向かいますが、途中でパンクにあい時間が無くなったためトラックに乗せてもらい浜松まで行きます。翌日は友人宅で一日休みを取ります。翌日は伊良湖まで友人とともに走り、別れてからは船で鳥羽へ渡ります。鳥羽からは津まで行ってテント泊とします。翌日は津から国道1号線に入り、鈴鹿峠を越えて草津から京都を抜けて大阪は枚方の先輩宅に飛び込みます。翌日は雨の中を明石まで走って船で岩屋に渡り、洲本そして由良まで行って知り合い宅に厄介になります。翌日は福良港から鳴門へ渡りますが、港では静岡で知り合ったトラックドライバーと再会、車で高知まで乗って行けと誘われたので、土佐山田まで送ってもらいます。そこからは自走で高知市内の実家まで走ってゴールします。その後は、浜松の御園井氏の世話になりながら鹿児島ー高知に挑戦。鹿児島から水俣、日奈久、八代、さらに久留米を経由して関門トンネルを抜け、呉から松山へ渡り吹雪の三坂峠を越えて高知にたどり着きます。最後は稚内から東京までを友人3人とともに完走し、日本縦断の旅を終えます、
「随想 紀行と空想」
筆者は地図を眺めていると、いろいろ面白い地名に気づきます。その中で本州の太平洋に突き出ている三つの半島、紀伊、伊豆、房総には同じ白浜という地名があります。筆者はそこから空想を昔へ昔へと遡っていきます。筆者の空想物語は、紀伊の白浜を出た漁師が嵐で流れ着いた地に自身の故郷である地名を付けたというものです。
「私達二人の伊豆半島一周の試み」
高校3年生の筆者は年末年始の休みを使って友人とともに伊豆サイクリングへ出ます。自転車は事前に送り、初日は大垣から沼津へ移動して自転車を受け取り、寺に泊めてもらいます。翌日は沼津を出発して三島で神社に参拝してから国道を行って反射炉を見学、修善寺温泉でも少し観光をしてから戸田峠の登りにかかります。峠越えに予定以上に時間がかかってしまったため、土肥温泉に着いたのは7時過ぎでようやくユースホステルに入ります。翌日は自転車の整備をし、自転車店に寄ってから松崎に向かいます。松崎町内で昼食を済ませてからは蛇石峠に向かいます。昨日に比して順調に峠を越え、下加茂では熱帯植物園を見学してからこの日の宿泊予定地石廊崎でバンガローを取って泊まります。大みそかは石廊崎から下田で観光後河津温泉まで走って昼食を取ります。そこから熱川温泉まで行き、有料道路に入ろうとしますが自転車は通行できず、伊東まで行く計画が狂ってしまい寺沢温泉に宿をとることになります。その晩は紅白歌合戦を見た後、床に就きます。翌元日は熱海へ向けてペダルを踏みます。伊東に着いたときに当初の計画通り大島へ渡ろうとしますが、一足違いで船に乗れなかったため、熱海を目指すことに。しかし、元日の熱海は宿がどこもいっぱいで湯河原温泉へ。ここの宿も満員でしたが、寺に泊めてもらえることに。筆者はここで自転車を自宅へ送る手続きを取ります。最終日は列車で熱海へ行き、船で大島へ渡ってからバスで島内観光をします。観光後は熱海に戻って列車で帰宅しました。
「中級講座 スポーツ車、部品の寸法」
サイクリングの楽しみは走ることはもちろん、自転車そのものをいじることも楽しみの一つです。この企画は主として寸法の面から自転車と部品およびその関連について解説していく連載となります。今回は自転車の寸法の表し方、当時使われていた単位とその表し方、換算表や規格について触れています。まず寸法の呼び方として当時は、(そして現在もあまり変わっていない)インチ、ミリ、インチの分読み、慣用名となっていました。このような状態では混乱をきたすので、本稿ではJISを第一に慣用、外国規格などを参考として取り入れるという方針を立てています。それに従い、ここではインチおよびインチの分数や分読みをミリに換算した数字を一覧表にまとめています。そして、当時の自転車寸法規格として満足すべきものはフランスのBNA規格であるとして、その内容を簡単に紹介しています。
「カタログ紹介 プジョー(フランス・完成車)」
自動車や各種工作機械なども製作しているフランスのメーカーで、自転車では大量生産のマスプロメーカーです。ここで取り上げたカタログに掲載されているのは高級なスポーツ車になっています。「PX10 RACING BICYCLE 10-SPEED」は一般アマチュア用といえる車種です。「Dx10 PROFESSIONAL RACING MODEL TYPE WORLDS CHAMPION 10-SPEED」はプロフェッショナル用の最高級品です。フレームはレイノルズ531セットでステー、フォーク、エンドはメッキとなっています。「PL8 GENTS LIGHT WEIGHT SPORT BICYCLE 4 SPEED」はクラブモデルに当たる車種です。「Px50 GENTS SPORT BICYCLE "RANDONNEUR" 8-SPEED」は旅行用車です。外観はギドネットレバー、ガード上につけたランプ、フロントチェンジの付いたチェンガードなど、フランス独特のものになっています。
「カタログ紹介 レイノルズ531(英・フレーム鋼管)
レイノルズ社はTI(チューブインベストメント)社傘下にあるフレームパイプでは世界のトップメーカーです。ここで取り上げているレイノルズ531はマンガンモリブデン鋼で、当時世界中どこのメーカーでも高級車には自国のパイプではなく、イギリスのレイノルズ531を使用しなければならないほど有名なものでした。カタログはレイノルズ社の全製品が掲載されています。ここで紹介しているのは531のページで、最初の見開きは前三角とヘッドチューブが出ており、各ページはバデットチューブのページとプレーンチューブのページです。また、各ページにはシールも載っており、三角だけレイノルズのものと全てレイノルズのチューブのものがあります。次はシートステーのページです。先端の形状の違いや両端がテーパーになっているものなどが出ています。ここでは紹介していませんが、チェンステーもシートステーと同様になっているということです。フォークのページは断面が丸形、D型、楕円と各種あります。フォークは曲げて提供していたので、カタログには各種曲げ方の違ったフォークが掲載されています。他にもシールのページ、フォークコラムのページ、各チューブセットの重量表のページがあります。
「カタログ紹介 ジョス(フランス・ランプセット)」
フランスのジョスは当時、イギリスのルーカス、ドイツのボッシュと並んで世界的に有名なメーカーでした。取り上げられているカタログのページはリア用(リアランプ、リフレクターおよびリフレクターとランプが一体になったもの)、ヘッドランプ、ダイナモとブロックダイナモの各ページが紹介されていますが、記事では製品に関する説明などはされていません。
「新製品ガイド」
今回は、三ヶ島の「ニューマックス」ペダルと「トークリップM」、前田鉄工所のリアディレイラー「スキッター」、光風自転車の15スピード旅行車「ケンコートラベラー」、栄輪業の各種ドロップハンドル、高橋サドルのイデアル59をモデルにした「スピーデック」などを紹介しています。
「サイクリングレポート 椿の名所大島をたずねて」
筆者は自転車購入以来、計画していたランをほとんど実現します。そして、最後に残った計画大島訪問に出ます。初日は夜九時に家を出て大島行きの船に乗船します。翌朝岡田港に着き、そこからサイクリングを開始します。砂利道、火山灰の道を乗ったり押したりしながら進みます。夜が明けて小休止した後は天狗山への登りにかかります。道は相変わらず悪く押して登ったり、下りもブレーキをかけっぱなしで進み波浮の港まで出ます。そこからは元町方面へ向かい、途中から計画していた三原山へ登るためにルートを変えます。ハイキングコースを担ぎながら進んで昼前には頂上の茶屋に到着します。そこで腹ごしらえをした後は自動車専用道を下って元町へ。途中道を聞くと、帰りの船は元町ではなく岡田から出るということなので岡田港へ向かいます。港には早めについたので近くの景色などを写真に収め、予定通り出港した船で大島を後にします。
「サイクリングレポート 津久井溪谷-相模湖回りのラン」
中学2年の筆者は、1月3日に自宅を友人と二人で津久井渓谷を目指して出発します。五日市街道を走って立川へ、日野橋で一休みしてから甲州街道で八王子に向かいます。八王子で休憩後は御殿峠を越え、橋本を過ぎ津久井渓谷へ出ます。この日のランはここまでにしようとしましたが、友人が相模湖まで行こうというので先へ進みます。相模湖へ出てからは、食堂に入って食事をとります。食事を終えて外へ出てみると、雨がパラついてきます。筆者はポンチョを持ってきていなかったのでそのまま走り、相模湖駅さらには大垂水峠を越え八王子の交番で休んだ後はまっしぐらに進んで自宅へ戻りました。
「サイクリングレポート 埼玉県宮城県間、年末20時間の走行」
自衛官の筆者は初日の朝に所属する基地をスタートし、実家を目指します。入間から川越、大宮を抜けて奥州街道に出ます。ここから北上し、幸手、古河、小山を通り過ぎ宇都宮には午後2時頃入ります。筆者はさらに自転車を進め、ナイトランに入ります。白河を抜け郡山まで行ったところで防寒着を着込み、さらに走り続けます。日付が変わった午前二時頃粉雪の降る福島市に入り、最後は県境の国見峠を越えて実家までの30kmほどを走り切り無事に実家に到着しました。
「サイクリングレポート 東京-大阪-名古屋 完走記録文」
14歳の筆者が友人とともに11日間かけて走ったのツーリングの毎日の記録です。初日は学校で通信簿をもらった後急いで帰宅。自宅に来た友人とともに出発し、御殿場のユースホステルに泊まります。二日目は御殿場から沼津に出て東海道を走り、清水を経由して三保の松原を見学後、久能山のユースに入ります。三日目は登呂遺跡をみてから静岡に出て小夜の中山で休憩し、浜松まで走り御園井輪業でスタンプをもらいユースに向かいます。四日目は浜松から豊橋、岡崎を経て名古屋に着きます。五日目は国道1号を走り桑名、亀山を通り鈴鹿サーキットに寄り道してからこの日は亀山の旅館に泊まります。六日目は出発して間もなく鈴鹿峠を越えて大津で休憩し、京都に入りヤマネでスタンプをもらいユースに入ります。翌日は一日自由行動として京都を観光し、その夜は除夜の鐘をききます。元日はユースを出てから途中すごい霧にあいますが、無事に大阪に入ります。通天閣の下で昼食をとってから奈良へ向かい、ユースホステルに泊まります。九日目は午前中奈良見学をして宇治、大津を通って彦根まで行き、旅館を見つけて泊まります。翌日は資金も乏しくなったので帰ろうということになって大垣から岐阜を通って名古屋で自転車を送ろうとしますが、三が日はどこも休みだったため、四日目に泊まったユースに再び泊まることにします。最終日は自転車を預け、土産を持って帰宅します。
「交換案内」
自転車や部品の売りたし買いたしのコーナーです。今月号も売りたしの完成車が10台以上出ていますが、この頃のフレームサイズ表記がインチ表記になっているのは現在と違う特徴的な点です。
「PRコーナー」
このコーナーでは自転車に関する書物などを紹介しています。今回はJASCA(JApan Sport Cycle Association)の総合カタログ、アルプス・ブリヂストン・日米富士自転車・丸石自転車各社のカタログ、三光舎PA型変速機説明書、東京地図出版の最新サイクリング地図が取り上げられています。
「サイクリング東西南北」
このページは、各サイクリング協会並びに各クラブの交換の場所としてニューサイが提供しているページです。今回は日本サイクリング協会が任意団体から財団法人として新発足するニュースが最初に掲載されています。他にも「東日本大学サイクリング連盟」が結成されたこと、JCAおよび東日本大学サイクリング連盟の指導者講習会が開かれたことを報告しています。また、各地のサイクリング協会およびサイクリングクラブの行事実施報告等も10件以上届けられています。
「パニアバッグ」
このコーナーは、読者に開放されているページです。今月号は読者から紙面内容に対する意見・要望や質問が20件近く寄せられています。
1964年4月号の裏表紙広告は、日米富士自転車の「富士サイクリング車シリーズ」でした。
コメント
コメントを投稿