ニューサイクリング 1965年7月号(No.15)

本日の1冊

今回は「ニューサイクリング 1965年7月号」を取り上げます。

ニューサイクリングの1965年7月号は、通巻15号です。

この号の表紙は「上高地スナップ」です。

通巻号の目次をページ順に追うと、

口絵 九州横断道路

 14 私達のサイクルキャンピング -大学クラブのあり方-

 25 変型ツーリング -東京-宮崎旅行-

 32 能登の旅 -岬紀行のうち―

 39 夕焼紀行 -北海道日記から―

 45 南九州ツーリング

 48 私の信州紀行 -さいくりんぐ・えっせい―

 62 悼 和田文平氏 和田さんを想う

 63 悼 和田文平氏 巨星消ゆ

 63 悼 和田文平氏 文平さんの死ををいたむ

 64 悼 和田文平氏 ぶんぺいさんのこと

 65 悼 和田文平氏 イジワル爺さんと私

 67 悼 和田文平氏 サヨナラ和田さん

 67 悼 和田文平氏 草原のハリキリ新爺

 68 悼 和田文平氏 ラウテルワッサーからオールランダーまで

 69 悼 和田文平氏 想いは尽きない

 70 連載講座 スポーツ車、部品の寸法(6)

 76 カタログ紹介 ブルックス―サドル―

 78 PRコーナー

 80 此の春のサイクルショウ

 82  交換案内

 89 ツーリングレポート 水戸・箱根ツアー

 90 ツーリングレポート 晩秋の奥日光快走

 91 ツーリングレポート 三浦半島一周

 92 サイクリング東西南北

 96 パニヤーバッグ

100 編集後記

100 代理部だより

となっています。

主な記事の内容を以下にご紹介します。

※各ページの題名が目次と異なる場合は、本文の題名を表記しています。


「私達のサイクルキャンピング -大学サイくリンクぐクラブの合宿の一つの方法として-」

当時まだ未開拓だったサイクルキャンピングを本格的にやろうとするための未解決の問題に取り組んだ実例として、立教サイクリスツ・ツーリング・クラブ(RCTC)の例を紹介しています。冒頭では学生クラブの実施するキャンピングの意義について述べ、次にクラブが実施してきた過去7回の実績を紹介しています。そして、それらの実績を踏まえた運営の詳細とアドバイスを述べています。機材や装備、役割分担などについては、現代では書籍やネット情報などで一般的に知られているノウハウの紹介となっています。それ以外では、サイクルキャンピングに対する心構えとして、「安いからという理由でサイクルキャンピングをするのも考えもので、とかくそういう人は長続きしませんし、どうせ旅の恥はかきすてとばかり他人に不快感を与えるような風態、態度をしがちですが、もっとプライドを持って行動し、旅の一形式としてのサイクルキャンピングを一般の人達にも正しく認識してもらうようにしたいものです」と主張しています。


「私のツーリング -東京-宮崎変型サイクリング旅行-」

筆者は前年の夏休みに東京から宮崎まで2600kmの旅をしました。この旅は自転車を中心に一部はヒッチハイクしていますので、筆者は変型サイクリングと呼んでいます。このツーリングを行うに当たってはサイクリング雑誌などを読んでみたが、体験談が中心で携帯品の具体的内容に乏しく、準備に困りました。そこで、ここでは筆者の体験記ではなく、体験を生かして準備段階から自転車、関係用具、携行品などについて具体的な名称をあげての解説を行っています。


「岬紀行 能登の旅」

これは綿貫益弘氏による、能登半島一周のサイクリング紀行です。東京を発った筆者が辿った能登の道は、氷見から七尾、穴水、鵜川、珠洲、曽々木、輪島と半島を巡ります。輪島に泊まった際は、7ッ島へ日帰りで渡ります。輪島戻ってからは山中を走り、富来から能登金剛を過ぎる頃までの能登の様を綴っています。


「夕焼け紀行 -北海道ツーリング日記―」

筆者は上野から汽車と船を乗り継ぎ約30時間かけて夜半に旭川駅へ着きます。自転車は翌朝受け取ってツーリングに出発します。初日は旭川から上川を経由して層雲峡まで進みます。翌日、観光客であふれる層雲峡を離れた後は石北峠を越え、北見、美幌、網走から原生花園を見学して古梅で民泊します。翌日は美幌峠を越え、屈斜路湖を見ながら下って川湯温泉の旅館に投宿します。翌日からは数日かけて摩周湖、阿寒湖、然別湖を巡ります。筆者の自転車旅はここで終わりとし、帯広で自転車を東京に送り返し、本人はバスで襟裳岬を見物した後、旭川へ戻っています。


「南九州ツーリング」

大学生の筆者は、アルバイトに通う電車の広告を見て南九州を走ろうと決めツーリングに出ます。東京から26時間の汽車の旅で鹿児島の串木野駅に到着、自転車を組み立てて昼食をとり走り始めます。道の良い国道3号から砂利道の国道270号を走り、その日は加世田の旅館に宿泊します。翌日は枕崎へ向かって国道226号を走り、枕崎から長崎鼻、指宿を経由して池田湖に至り、この日はキャンプ泊します。ツーリング3日目は国道を北上して午前中に鹿児島に到着、観光をした後フェリーで桜島へ渡ります。桜島では溶岩道路を走り、桜島口からは北上して隼人へ向かい、夕食を取ってからさらに進み国道223号沿いの適当なところにテントを張ってシュラフに潜り込みます。翌日は国道を北上して林田温泉から有料道路へ入ってえびの高原へ登っていきます。えびの高原では露天風呂につかり、小林まで砂利が積もった道を二時間半かけて下っていきます。ここでルーカスのサイクロメーターをなくしてしまい、探しに戻りましたが見つからず、あきらめて都城まで行きます。この日は駅のベンチで寝ようとしましたが、職務質問に合いそのまま駐在所に泊まります。翌日は朝食をごちそうになった後駐在所を出発して志布志、夏井、串間、本城を経て都井岬の灯台まで自転車を乗りつけます。その後は引き返して宮ノ浦あたりの小学校に泊めてもらいます。最終日は出発後に朝食をとったところで雨が降り出します。さらに朝食後再出発してすぐにトラブルが起こります。ディレイラーのスライドシャフトのナットが飛び、分解してしまいます。部品は何とか組み込んだものの調子が悪く、仕方が無いのでフロントのトリプルギヤのみで変速することにします。この日はさらに宮崎が近くなったところでパンクもしてしまいます。それでも何とか修理して、その後は舗装路を順調に進んで夕方宮崎駅に到着して自転車を分解し、ツーリングを終えています。


「さいくりんぐ えっせい 私のツーリング "信州紀行" 」

このエッセイは今井編集長による「ツーリングの楽しさというものを、信州紀行を通じて書きたかった」ことから掲載されました。編集長が信州サイクリングを始めたのは、この文を書く10年位前からです。特別にひかれる理由もないし、特別に研究しているわけでもないが何んとなしにこの地に一種の憧れ持っているようだといいます。今回は信州各地での思い出、初めて信州を走った軽井沢から小諸を回って佐久甲州街道を行った時の事、糸魚川街道での一人旅、北国街道での印象について綴っています。


「悼 和田文平氏」

今月の特集記事で、この年の3月に58歳で亡くなった和田文平氏の追悼文集です。戦前のサイクリングは和田氏から始まり、今日の日本のサイクリングの基礎を作った人物です。

「和田さんを想う」は元JCA専務理事の前田安雄氏によるもので、昭和13年に出会ってからの30年間、戦前に銀輪を並べて東京都北部のコースを多く走ったこと、戦後はNCTC会長やJCA理事を務めていたこと等の思い出を綴っています。

「巨星消ゆ」は当時のNCTC会長の菅沼達太郎氏によるもので、昭和8年に出会った頃すでに欧州の文献を多数所蔵し、英国のCTCに唯一日本人の会員として加わっていたこと、和田氏がいなければ日本にはサイクリングの花は咲かなかっただろうとその功績をたたえています。

「文平さんの死ををいたむ」はアルプス自転車の萩原慎一氏によるもので、その功績をたたえるとともに、NCTCのクラブランで天竜川下りをやったことやOB会と称して箱根湯本に集まった時の思い出を綴っています。

「ぶんぺいさんのこと」は元JCA理事の興津武雄氏によるもので、和田氏のユーモラスな一面や、戦後はダウンのバーは使わずフラットバーを乗ってていたことなどを語っています。

「イジワル爺さんと私」はサイクリングロータリーの左近光三氏によるもので、和田氏との会話風に仕立てで過去の思い出を綴っています。

「サヨナラ和田さん」は当時静岡県サイクリング協会の西部志部長だった御園井宏昌氏によるもので、御園井氏が浜松でのサイクリングクラブ設立に先だって色々と相談したこと、県の協会設立のこと、そして浜名湖で開催した第1回全国ラリーの事など、思い出を綴っています。

「草原のハリキリ新爺」は元JCA理事の山田伯雄氏によるもので、和田氏の人物や京都の旅館や姥子温泉に泊まった時の思い出などを語っています。

「ラウテルワッサーからオールランダーまで」は鳥山研究所の鳥山新一氏によるもので、あるサイクリングの際に集合場所へラウターワッサーを逆につけてきて一同をギョッとさせた想い出。鳥山氏のフランス流に対し、和田氏はイギリス流サイクリングを紹介した功績について紹介しています。

「想いは尽きない」は今井彬彦編集長によるもので、数々の思い出、サイクリング協会の仕事でよく議論をしたこと、プライベートでは雑学の大家で座談の雄であったこと。全国ラリーや国立公園祭りでの事を綴っています。


「スポーツ車、部品の寸法 〔第5回〕チェーンラインについて(2)後ハブの部分」

サイクリングの楽しみは走ることはもちろん、自転車そのものをいじることも楽しみの一つです。この企画は主として寸法の面から自転車と部品およびその関連について解説していく連載となります。今回はチェーンラインについてで、特にリアハブ周りを中心に取り上げています。当時の日本はハンガ部同様にリアハブの規格も様々で、実際の製品は規格に沿わないサイズが出ています。そして多段フリーはこの頃は3段から5段のものが出ており、これらのハブとフリーを組み合わせてチェーンラインを正確に出すことは神業的な調整が必要になってくるといっています。これらの事から、メーカーは工業会や検査協会をプッシュして使える規格を制定することが必要だとしています。


「カタログ紹介 ブルックス サドル イギリス」

当時、サドルといえばブルックスというほど世界的に知られているメーカーでした。記事で取り上げているカタログの表紙には「ラレーインダストリー」とあり、ブルックスがラレーグループの一員であることが示されています。このカタログにはサドル以外の製品のカタログが挟み込んであります。バッグ類、トークリップ、トーストラップ、マッドフラップ、携帯工具などが出ています。このカタログに出ているサドルはスポーツ車用として10種類、実用車的なサドルが2種類、日本でテリーといわれるスプリングシートが3種類となっています。カタログで写真が掲載されているスポーツ車用は、B17スタンダード、B17コンペティション、B17スワロー、B15ナロー、B15スワロー、B15SPFとなっています。スポーツ車向け以外のサドルは、B66チャンピオン、B72、B73、B66の写真が出ています。


「PRコーナー」

このコーナーではカタログや書籍を紹介しています。今回は三光舎、吉川ブレーキ、日東ハンドル、三ヶ島製作所、藤田サドル、ナショナル自転車のカタログと、前田鉄工所の「サイクリング教室テキスト」を取り上げています。書籍類は「サイクリングハンドブック」「コンプリートサイクリスト」「ル・シクリスト」を新着外国書として紹介しています。


「此の春のサイクルショウ」

ここでは、池袋にある百貨店の丸物で開かれた「'65 スポーツサイクルショウ」と、晴海で行われた「'65 ニューサイクルショウ」の模様を伝えています。どちらも二週間、十日間と長い会期で中学生、高校生を中心とする若い人たちが熱心に見ていたということです。しかし、どちらのショウにも専門店のオーダーメイド車は1台も展示されておらず、少し物足りなさを与えたようだといっています。


「交換案内」

自転車や部品の売りたし買いたしのコーナーです。今月号も多数の売買情報が出ています。また、この頃はフロントディレイラーやダブルのチェンホイールやチェンリングも増えており、フロントの多段化が進んでいる様子がうかがえます。


「サイクリングレポート 晩秋の奥日光快走」

筆者は二日間で400km近く走る計画を立てます。初日はナイトランで午後八時半に川崎を出発し、翌朝の四時に日光駅に到着します。駅で仮眠をとったあと、日光東照宮の見学に行きます。東照宮を出てからはいろは坂を登って中禅寺湖まで、さらに竜頭の滝にも寄ってから湯川沿いのハイキングコースを辿ります。晩秋の奥日光を堪能しながら走って戦場ヶ原へ出て周辺も走った後は湖畔のユースホステルに入ったところでレポートを終えています。

※目次では90ページ掲載となっていますが、本文は89ページに掲載されています。


「サイクリングレポート 三浦半島一周」

筆者は正月の二日朝に初めてのツアーに出ます。午前中に都内から横浜に入り、そのまま走って金沢八景を過ぎ昼頃横須賀に到着します。駅前で昼食を済ませるとすぐに出発し、戦艦三笠を見てから国道16号を南下して観音崎へ向かい、ここで灯台まで行った後は城ケ島まで海岸線を行って城ケ島大橋を渡って島へ入ります。しかし、島に宿は無かったので三崎まで戻って宿を見つけます。翌日は油壷へ行きますが熱帯植物園はやっていなかったので逗子へ向かいます。逗子からは鎌倉、大船、横浜を経由して自宅へ戻ります。

※目次では91ページ掲載となっていますが、本文は90ページに掲載されています。


「サイクリングレポート 水戸・箱根ツアー」

筆者は、夜の午後八時頃水戸を出発します。途中休憩しながら国道6号で東京に向けて走り、午前二時半頃都内に入ります。六時過ぎには甲州街道に入り、八王子では目的であった東京オリンピックのロードレースを観戦します。レース観戦後は高尾山を登り相模湖の湖畔まで下りた後八王子へ引き返し、相模原、厚木、平塚、大磯と走って小田原に到着したのが午後十時で、この日は野宿をします。翌日は小田原を出て箱根の登りにかかります。頂上を越えてからは芦ノ湖湖畔へ下り、また上って沼津まで一気に走ります。沼津では昼食をとってから来た道を逆に走って箱根、小田原まで戻り、さらに大磯、茅ヶ崎を経由して江の島に到着、この日は江の島に野宿します。三日目は江の島を出て、鎌倉、横浜を経由して都内へ入ります。都内では浅草で土産物を買ったあと、茨城へ向けて走り松戸あたりで野宿とします。最終日は雨、さらにパンクにも見舞われながらも取手、藤代、土浦、石岡と休まずに走り、午後三時過ぎに自宅にゴールしました。

※目次では89ページ掲載となっていますが、本文は91ページに掲載されています。


「サイクリング東西南北」

このページは、各サイクリング協会並びに各クラブの交換の場所としてニューサイが提供しているページです。今回は各クラブやサイクリング少年団からの情報が中心です。最後にはクラブ情報ではありませんが、ベロクラブトウキョウが「オリンピック東京大会自転車記競技写真集」を発行したことを伝えています。この写真集は全競技の主要場面120枚からなるもので、ラップタイムなどの詳細な記録も掲載されています。案内では、クラブの機関誌だが、増刷したので希望者には実費で分けてもらえると出ています。


「パニアバッグ」

このコーナーは、読者に開放されているページです。今月号は、読者からの質問と編集部からの回答を中心に掲載しています。


1965年7月号の裏表紙広告は、日米富士自轉車の「レーシングタイプ」でした。

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