ニューサイクリング 1967年10月号(No.39)

本日の1冊

今回は「ニューサイクリング 1967年10月号」を取り上げます。

ニューサイクリングの1967年10月号は、通巻39号です。

この号の表紙は「オランダにて」です。

通巻39号の目次をページ順に追うと、

口絵 世界選手権でみかけたサイクリスト達

 22 世界選手権のこと

 26 世界選手権プロロードの感想

 28 世界選手権をみて

 30 レースの記録=世界選手権・東京都選手権・宮城県大会

 32 東北一周ロードレース

 38 シクリスム概論(15)

 42 オーダーメイド読本(6)

 45 眼と読書と光とコーヒーと

 48 ある実験 ブレーキ操作について

 54 あの道この道 大山街道

 58 神奈川県にサイクリング道路建設

 60 ニュージーランドの旅(3)

 82 裏磐梯高原サイクリング

 90 サイクリングレポート 富士スバルラインを行く 天の橋立 高校生無茶苦茶旅行 伊豆を走る

 98 新製品ガイド

102 東西南北

104 パニアバッグ

113 交換案内

115 代理店名簿

116 編集後記

となっています。

主な記事の内容を以下にご紹介します。

※各ページの題名が目次と異なる場合は、本文の題名を表記しています。


「CHAMPIONNATS DU MONDE VITESSE PROFESIONNELS」

これは加藤一氏による、アムステルダムで開催された1967年世界選手権の観戦記です。冒頭では日本が世界選に参加するまでの歴史と、この年の世界選では特別規則としてドーピングコントロールが行われたことを記しています。ピスト競技では、アマ選手は力量不足のために敗退してしまいました。プロヴィテスには3人の日本人選手が出場して二人が1次予選を勝ち上がりました。2次予選では敗退したものの二人とも敗者復活戦で勝ち上がり、ベスト8に入ります。準々決勝では二人ともに敗れてしまいましたが、僅差での敗退であり、日本のプロ選手の実力を示すものであるとの感想を述べています。


「世界選手権プロロードの感想」

この文は「イタリア通信」と銘うち、イタリア在住の日本人から寄せられたレポートです。今回はオランダで行われた世界選手権プロロードのテレビ観戦記です。1周13km程のコースを20周するレースは11ヶ国70名の選手が参加して争われました。レースは18週目後半からイタリアのモッタ選手やベルギーのメルクス選手ら5人が逃げ、最後はゴールスプリントを制したメルクス選手が優勝しています。


「世界選手権をみて」

ここではオランダで開催された世界選手権の中からアマチュア部門のトラックおよびロードレースについて日本選手の成績も交えてレポートしています。トラックは千米タイムトライアル、団体追抜、スクラッチに日本選手が出場しましたが、何れも予選敗退となりました。トラックではこの他に個人追抜とタンデムが行われています。ロードはチームロード、女子ロード、男子ロードが行われ、日本人選手は15周200kmの男子ロードに4選手が出場しました。結果は一周で一人、三周で二人、五周で最後の一人も降りてしまい、全員が途中棄権になりました。この当時のアマは参加することに意義を認めており、成績の良し悪しはあまり問題としていない部分もありました。しかし、筆者の人情としては世界に互して戦える選手が出てきてほしいと述べています。


「レースの記録=世界選手権・東京都選手権・宮城県大会」

ここには「1967年世界選手権」「第20回宮城県民大会兼国体予選」「1967年度東京都選手権」の各トラックレース・ロードレースの競技結果が掲載されています。


「第16回東北一周ロードレース」

これは8月に仙台を出発した、「第十六回三笠宮杯東北一周自転車競走」のレースレポートです。東北六県の12チームが6日間にわたり、12区1241.02kmを走るレースの各区間のレポートと全結果を掲載しています。また、レポートの最後には「使用車のこと」と題して貸与車に関する問題点、数十件におよぶチェーン外れやダイカストフレームの使用、他についての意見が掲載されています。


「シクリスム概論 自転車競技の基本」

これは鳥山新一氏の執筆による、自転車レース全般に関して根本的な問題から手掛け、客観的、体系的に整理してまとめ上げようと企画した連載です。第15回は「第一篇 基礎篇 第四章 レースの運営」として「レースの統括団体」「レース統括団体とツーリング」「レースのシーズン」「子供の観客の動員」について論じています。


「連載講座 オーダーメイド読本」

このコーナーは、これからオーダーをしたい、あるいはオーダーをしたけれど何となくしっくりこないという問題を持っている人達の視点で考えていく企画の連載です。第6回は前月に続き「自転車の性能」のなかの身体と自転車の関係性について、シクロツーリスト、一般サイクリストの乗車姿勢についてフランス誌掲載の写真を引用しながら解説しています。


「眼と読書と光とコーヒーと」

ここでは目の健康のことと、コーヒーのことについて綴っています。最初は近視の話で、偽近視から近視に至るまでの経緯とそれを防止する為の方法を解説しています。次は眼精疲労のことで、原因となる3つの要素について、続いて読書をする際に必要な明るさについて説明しています。次の話題はコーヒーについてです。コーヒーの歴史に軽く触れた後に、コーヒーの成分とその効能について述べています。


「ある実験 ブレーキ操作について」

この記事は、人が危険を発見してからブレーキレバーに手をかけるまでの、人間側の操作を数字的にはっきりさせるために行った港サイクリングクラブによる実験のレポートです。実験では男女各3名を被験者とし、「ドロップバーにフーテッドレバー」では5つのポジション、「ドロップバーにギドネットレバー」では4つのポジション、「フラットバーにフラットレバー」では3つのポジションについてそれぞれの反応時間を1/1000秒単位で測定しています。結果は、平均値で最も時間が短かったのがフラットレバーでブレーキレバーに指を掛けた状態、最も時間がかかったのはドロップバーの上ハンを持った状態からにフーテッドレバーをかける場合でした。


「あの道この道 大山街道」

このコーナーは、現在でも残っている旧街道の道のりや名残などを紹介しています。今回は大山街道、いくつもあるうちの中から厚木街道、甲州街道、東海道などから出ている大山街道の道のり紹介と、各地に残されている道しるべの写真を掲載しています。


「神奈川県にサイクリング道路建設」

当時、日本で初めての自転車専用道として平塚市に建設されていた自転車専用(一部自転車優先指定)道路を案内しています。コースは、花水川橋左岸のレストハウスを起点に花水川、金目川を北上し、吾妻橋から県道大磯伊勢原線を進んで大畑橋で鈴川に沿って南下していくと先程の金目川とぶつかる、全長約13.4キロとなっています。


「ニュージーランドの旅 第3回」

この文は、大学生の読者による海外サイクリング紀行の連載です。前回到着したグレスマウスを出発したその日は午後二時半頃に予定地のロスに到着、この先では4・5日食料が手に入らない所があるというので、買い出しに行きますが予定通りの物は買えませんでした。翌日からは雨が続き、ワタロア、フランツジョセフ氷河、フォックス氷河、ブルースベイ、ハーストと五日間雨の中を走って進みます。次の日は久しぶりの晴れのなか、ニュージーランド・アルプスの中に向かって入っていきます。この日はハーストで出会った人の好意で家を借りて泊まりました。翌日はハースト峠を越えてハウェア湖を過ぎワナカに到着します。ホステルに入った後はスーパーマーケットで食料を買い込みます。途中で十分な食事をとれなかった筆者、その日の夕食では際限なく食べ続け、同宿者から「スティルハングリー?」と呆れられました。翌日からは1日の休養日を入れながらクィーンズタウン、キングストン、ラムズデンと走って世界最南の町インバカーギルに到着しました。この後は国道一号線を走って約十日後に最後の目的地であるクライストチャーチに到着してニュージーランドの旅を終えています。


「裏磐梯高原サイクリング」

この文は都内に住む筆者が、故郷の福島まで自転車で行ったサイクリング紀行です。筆者は五日間の休暇を取り、曇り空のなか都内の自宅を出発します。初日は都内を抜けて足立から草加、越谷、春日部、杉戸、栗橋、古河と進んだあたりで雨が降ってきます。薬局でオリーブ油を買って手足に塗り、ポンチョを着て再び走り始め、この日は予定した西野田観音のユースホステルに夕方辿り着きました。翌日は雨も上がり、予定した福島へ向かって走り始めます。小山、宇都宮、矢板、白河と進みますが、暗くなってきたのでこの日は白河市内の旅館に泊まりました。翌日は国道へ出て走り、泉崎村、矢吹町、須賀川市、郡山市、二本松市と走って昼頃に福島駅に到着します。駅では一時預かり所に自転車を預け、土産を買ってからバスで実家に向かいました。翌日は福島駅で自転車を引き取ってから山岳ツーリングに出発します。高湯温泉を抜け磐梯吾妻スカイラインを走り、横向温泉まで行って宿を取ります。翌日はホステルを出発たあと五色沼を目指しますが、雨が降ったきたため猪苗代湖まで突っ走ることにします。猪苗代では野口英世博士記念館を見学してから出発し、土湯沢温泉、川上温泉、秋元湖と走って五色沼のユースホステルに到着します。その後改めて五色沼探勝に出かけます。次の日は五色沼を出て郡山を目指し中山峠を越えて高玉温泉から磐梯熱海温泉を抜け、時間に余裕があったので最後は白河駅まで走ってから自転車を発送して自身は2時間後の急行を待ちました。


「サイクリングレポート 富士スバルラインを行く」

筆者は河口湖畔のキャンプ場を早朝に出発して、富士スバルラインに向かいます。料金所を5時45分に通過して登りはじめ、五合目には9時半に到着しました。五合目では50円払ってボトル2本に水を一杯にしてもらった後、登山道へと車を進めます。登山道では乗っていられないので、押して上がります。六合目の小屋に着いたところで上の様子を聞き、自転車は小屋に預けて徒歩で登ることにします。しかし、疲れ果ててしまったために九合目まで登頂を断念して下りの道につきました。


「サイクリングレポート 天の橋立」

筆者は大阪市内を出発し、京都を経由して大津へ抜けて琵琶湖西岸を北上します。この日は途中の水泳場で泳いだから先に進み、白髭神社近くにあるキャンプ場で泊まります。翌日は国道161号から国道27号を経由して、福井へ向かいます。日本海へ出てからは小浜、舞鶴と進み、夕方頃橋立に到着します。この日は公園の外にテントを張って泊まります。次の日は昼頃まで橋立で遊んでから出発、宮津から国道178号で舞鶴まで戻り、27号で京都へ向かいます。この日は距離があったのでナイトランになり、京都駅に10時頃着いて待合室のベンチに横になりましたが1時間ほどで締め出されてしまい入口の前でごろ寝になりました。最終日は待合室が空いてから中で駅弁を買って朝食を食べ、家路につきました。


「サイクリングレポート 高校生無茶苦茶旅行」

高二の夏休み、筆者は友人とサイクリングツアーに出発します。初日は都内から第二京浜を走って神奈川に入り、鎌倉で泳いでから茅ケ崎に移動してユースホステルに泊まりました。二日目は湯河原まで、三日目は箱根を越えて御殿場へ向かいますが途中で友人とはぐれてしまいます。途中の休憩で眠ってしまったため、到着が夜になると思いながら走っていましたが、先に着いた友人がユースのペアレントさんと一緒にクルマで迎えに来てくれました。四日目は西湖に向けて出発しますが、籠坂峠に向かう途中で雷雨となってしまいます。雨がやんでから出発しましたが夕方に山中湖まで来たところで警察署に自転車を預かってもらい、ヒッチハイクで西湖のユースホステルまでたどり着きました。五日目はユースを出て、バスとヒッチハイクで山中湖まで戻ります。自転車を受け取って道志村に向かい、ユースに投宿します。六日目は100km以上ありましたが夜までに無事自宅まで走り切りました。


「サイクリングレポート 伊豆を走る」

筆者は友人と共に、3泊4日の予定で伊豆半島へツーリングに出かけます。初日は都内から神奈川県を走り、小田原から宇佐美を抜けて伊東に到着します。初日はここまでの予定でしたが、予定よりも早かったので先に進むことにして東伊豆町まで走って海岸に上げっぱなしの船の中で一夜を明かします。翌日は下田町から石廊崎へと走り、石廊崎灯台を見学してから再び走り始め、蛇石峠を越えて松崎町を過ぎ大洞峠を越えて土肥町まで進み、バスの停留所を寝床とします。三日目は土肥から船原峠を越え、当初予定していた修善寺に行くことは止めにして大仁町へ入り、伊豆長岡、三島市から箱根へ向かいます。芦ノ湖からはダウンヒルをたっぷりと味わい、小田原から八王子へ進み予定よりも1日早くツーリングを終わりました。


「新製品メモ」

こちらは自転車部品や用品などを紹介するコーナーです。今回は吉川ブレーキのバンド締め式台座のカンティブレーキ「カンターI」、太陽製作所の新素材プラスチックサドル「ハイウエイスポーツ」等を取り上げています。


目次にはありませんが101ページには「PRコーナー」があり、「藤田サドルカタログ」と「御園井商会オーダーノート」を紹介しています。


「サイクリング東西南北」

このページは、各サイクリング協会並びに各クラブの交換の場所としてニューサイが提供しているページです。今回は日本サイクリング協会と、三つのサイクリングクラブから寄せられたニュースが掲載されています。


「パニアバッグ」

このコーナーは、読者に開放されているページです。今月号は、部品や修理に関する質問や、NC誌に対する要望が数件寄せられています。


「交換案内」

自転車や部品の売りたし買いたしのコーナーです。今月号には「交換案内の上手な利用法」という案内文が掲載されています。


1967年10月号の裏表紙広告は、日米富士自轉車の「富士フリートSテン 富士スパートファイブ」でした。

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