ニューサイクリング 1967年1月号(No.29)
本日の1冊
今回は「ニューサイクリング 1967年1月号」を取り上げます。
ニューサイクリングの1967年1月号は、通巻29号です。
この号の表紙は「おサルの自転車」です。
通巻29号の目次をページ順に追うと、
口絵 長崎の印象
口絵 第1回サイクリングトロフィーから
24 第21回国民体育大会 自転車
34 レースの記録 学生タンデム選手権・高校定時制大会・東北選手権
37 シクリスム概論(7)
40 自転車競技アラカルト 冬来たりなば
42 誰でも出来るやさしいメンテナンス(12)
46 第一回サイクリングトロフィー始末記
54 市川・船橋の丘陵地帯
62 ウイン漫遊
80 紅葉の奥秩父から信濃路へ
86 奥多摩湖・柳沢溪谷単独行
90 孤独な四国一周
91 緑の代償(最終回)
94 東西南北
96 パニアバッグ
100 おサルの自転車
107 交換案内
109 全国代理店名簿
110 代理部だより
となっています。
主な記事の内容を以下にご紹介します。
※各ページの題名が目次と異なる場合は、本文の題名を表記しています。
「第21回国民体育大会 自転車」
この年の国体は、10月に大分で開催されました。自転車競技はトラックが別府市営競輪場で、ロードは亀川ー中津のコースで行われました。トラックの競技種目は一般、高校ともに1000mタイムトライアル、10000mポイントレース、400m速度競走、4000m実用車速度競走、4000m団体追抜となっています。別府はこの国体の為に走路を改修して路面がよくなっていたため、タイムトライアル系の種目では国体新記録が多く出ました。ロードは一般が123.68km、高校が103.6kmで争われました。総合結果は宮城県が三連勝を達成、開催県の大分県は2位となっています。
「本邦初の二つの大会開かる」
ここでは日本で初開催となった、後楽園競輪場でタンデム大会ではスクラッチ以外に、1000mタイムトライアル、4000mの単車追抜と団体(2車)追抜と世界でも類を見ない種目が行われた「第1回全日本学生タンデム選手権大会」と、京王閣競輪場で開催された「第1回全国高校定時制通信制自転車競技大会」のレポートと結果が掲載されています。またその他にも「第7回東京都社会人対抗ロードレース」「第7回全日本学生個人選手権自転車競技大会」「第18回東北自転車競技選手権大会」の競技結果も掲載されています。
「シクリスム概論 自転車競技の基本」
これは鳥山新一氏の執筆による、自転車レース全般に関して根本的な問題から手掛け、客観的、体系的に整理してまとめ上げようと企画した連載です。第七回は前回の続きとなる「第一篇 基礎篇 第三章 レースの型式と種類」です。今回はレース種目の概要として、トラックレースとロードレースに関する用語と、トラックレース種目に関する用語と内容について解説しています。
「自転車競技ア・ラ・カルト」
このページは、ベロ・クラブ・トオキョウが担当する連載です。今回は「冬来たりなば」と題して、次のシーズンまでの約三か月間に自分の弱点を克服するためのトレーニングについて、他の人はどんなことをやっているのかを紹介しています。
「誰でも出来るスポーツ車のメンテナンス 第12回」
これは、横尾双輪館の横尾明氏の執筆による連載講座です。今回は「ヘッドの分解掃除」と題し、ヘッド部の整備を取り上げています。用意すべき工具ですが、ヘッド小物のナット形状によってS型ヘッド回しやA型ヘッド回し等が必要としています。分解掃除の手順は、一番最初にヘッドナットを少し緩めておくと好都合としています。そのあとはハンドル・ステムを外すところから分解と組み立ての手順を8枚の写真とともに説明しています。
「第一回サイクリングトロフィー始末記」
この記事はサイクリングトロフィー実行委員会による、同イベントの内容について解説したものです。トロフィーはペーパーテストと実走テストが行われました。ペーパーテストはサイクリング一般と、サイクリング用車に関する問題が各10問設定されています。実走テストは、各人にスタート直前に地図を渡して指示通りに走るものです。採点項目は安全交通、マナー、走行技術、マップリーディング、自転車の取り扱いとなっています。テストはペーパーテストが300点満点、実走テストが700点満点で採点が行われています。記事ではペーパーテストの各問題と解答、実走テストの採点内容などについて解説しています。また、このイベントに当たっての運営と準備についても書かれており、今後、各地の団体やクラブで行う場合の参考になればとしています。
「めでみるコースガイド 市川・船橋の丘陵地帯」
これは都立小岩高校サイクリング同好会による、文章とともに写真やコマ地図を多数使ってコースを紹介しているガイドです。市川橋を起点としたルートは、葛飾八幡宮、法華経寺、中山競馬場、唱行寺、市川霊園、本光寺、安国寺、六所神社、手古奈霊堂、弘法寺、須和田公園、国分寺、矢切の渡し、里見公園を巡って市川橋に戻ってくる33.5kmとなっています。ガイドでは、ルートの細かい部分はコマ地図も使って案内し、見どころなどは写真を活用して解説しています。
「ウイン漫遊」
この文は、山王スポーツ社長の高橋長敏氏によるオーストリア・ウィーンの見聞録です。筆者はオランダ、フランス、イタリアをまわり、ミラノで仕事を済ませた後にウィーン入りしました。前半は、筆者が観光バスに乗って巡った寺院のことや車内での出来事などを紹介しています。後半では、途中でプジョークラブと書いたクルマを見つけてバスを跳びおりてトレーニングに向かう一行に同行することになった話を綴っています。
「紅葉の奥秩父から信濃路へ」
この文は、アルプスサイクルフレンズのメンバーが三国林道秩父ー川上線を走ったサイクリング紀行です。前段の話として、萩原慎一氏は昭和32年11月にH式自転車用背負子を使って三国峠を征服し、翌年にアルプスサイクルフレンズ(AFC)を発足させました。AFC発足から9年、この年の夏に三国林道秩父ー川上線が三国峠経由で開通したのを機に、AFCメンバーでそれを確かめに行こうという話になりました。
アルプスサイクルフレンズ(AFC)のメンバーである筆者は、正丸峠越えで集合場所である三峰駅へ向かいます。飯能あたりで降り出した雨は途中で止んだものの、日が暮れてしまいます。幸いにも月が明るかったため遠くまでわかるぐらいでしたが、雨に濡れた石灰質の路はひどい状態でした。それでもどうにか集合場所にたどり着き、その日は登山口の旅館に泊まりました。翌日は快晴のなか、一行は出発します。中津仙峡、中双里を過ぎ、九十九折れの道を乗ったり押したりしながら登り続けてようやく三国峠にたどり着きます。ここからはダウンヒルで川上の旅館へ向かいました。三日目は川上村から信州峠を越えて韮崎の駅まで走ってから、自転車を輪行袋に収めてツアーを終わらせています。
「奥多摩湖・柳沢溪谷単独行」
筆者は府中から青梅街道を経て青梅で食料を購入し、小河内ダムに向かってペダルを踏みだします。小河内ダムへ出てからは、奥多摩湖南岸に入ります。はじめはポタリング気分で走れていましたが、天神沢では湖に落ちかけるアクシデントに遭います。さらに、そこからいくらも行かないうちにパンクに見舞われます。十分ほどで修理して出発しますが、雨が降り出しさらに暗くなってきているので予定地まで行かずに野営することにします。その晩は野営場所のすぐ近くで土砂崩れがあり、不安で眠れないまま朝を迎えます。翌日は南岸を乗り切り、ドラム橋から北岸へ渡ります。ここからは青梅街道を行って柳沢峠を越えて塩山から甲州街道に出て、笹子、大月、上野原と国道20号を飛ばして日野橋まで帰り着いています。
「サイクリングレポート 孤独な四国一周サイクリング」
筆者は連休を利用して、四国一周約100kmのソロサイクリングに出ます。四国の自然は筆者を孤独にさせておかないほどに魅力的でした。その反面、道路が非常に悪いという印象も持っています。海岸線は全部国道の標識があるが、舗装されているのは市内と大きな町の中だけでした。それでも、四国の人々の人間性は一番印象に残っており、筆者は楽しい一生の思い出を味わうことができました。
「緑の代償 第6回」
これは24号から始まった連載小説です。ミッチーの弟とサイクリング仲間はミッチーを探しに出ます。弟とラッキーは五彩園の駅で佑次と合流して捜索に加わります。十一時過ぎまで探したが見つからず、皆は五彩園に戻ります。すると、ひょっこりとミッチーが現われます。聞くと、土産物を食べてしまったので行きづらくなり、夜手紙だけを置いて帰ろうと温室に隠れていたら寝てしまったとのこと。その夜は五彩園に泊まり、翌朝登校時間に間に合うように暁のサイクリングを楽しみながら皆で帰路につきました。おわり
「サイクリング東西南北」
このページは、各サイクリング協会並びに各クラブの交換の場所としてニューサイが提供しているページです。今回は広島県サイクリング協会や、サイクル少年団、各サイクリングクラブからの情報が掲載されています。
「パニアバッグ」
このコーナーは、読者に開放されているページです。今月号は、ロードレースの練習仲間募集や競技場の使用や貸与車についての質問他が寄せられています。
「おサルの自転車」
これは、上野動物園からの依頼によりパターソンズハウスで猿が乗るための自転車を製作した太宰茂秀氏による製作記です。
「交換案内」
自転車や部品の売りたし買いたしのコーナーです。今月号は、完成車の売りたしにアルプスが5台出ています。部品ではホイールが、26インチ以外では700Cが無く27X1/4が主流になっています。
1967年1月号の裏表紙広告は、日米富士自轉車の「富士シングルエイト 富士スパートフォア」でした。
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