ニューサイクリング 1967年2月号(No.30)

本日の1冊

今回は「ニューサイクリング 1967年2月号」を取り上げます。

ニューサイクリングの1967年2月号は、通巻30号です。

この号の表紙に題名はついていません。

通巻30号の目次をページ順に追うと、

口絵 木曽路行

 22 木曽路行

 28 遥かな尾瀬

 32 上高地・美ヶ原紀行

 40 佐久甲州街道紀行

 42 夕暮の鍋越峠をゆく

 46 天草一人旅

 52 イタリア見聞録

 60 ESCAに望む

 62 世界一周のイギリス人

 72 シクリスム概論(8)

 76 自転車競技アラカルト

 78 レース界の話題・アジア大会記録

 80 誰でも出来るやさしいメンテナンス(13) ペダルの分解

 82 カンパニョロ新製品紹介

 86 新製品メモ

 89 PRコーナー

 90 東西南北

 97 交換案内

 99 代理店名簿

100 編集後記

となっています。

主な記事の内容を以下にご紹介します。

※各ページの題名が目次と異なる場合は、本文の題名を表記しています。


「木曽路行」

筆者のクラブに名古屋のサイクリストから秋の木曽を走ろうと誘いがきます。これは東京と名古屋のサイクリストの交歓になるからと、名古屋出身の東叡社の渡辺君が奔走し実行の段取りとなりました。参加者達は藪原で一堂に会し、木曽路サイクリングを開始します。一行が走った国道19号はすばらしい舗装路で、長いダウンヒルを楽しみました。その一方で、この国道によって古い木曽路の面影は大きく部分的に断ち切られてしまったように感じられたと筆者は述べています。国道を走った後は三留野から旧中山道へ入り、妻籠まで走って宿を取ります。夜はコタツを囲んで東西交歓の楽しい語らいの時間を過ごしました。翌日は旧中山道を走って馬籠を訪ねました。馬籠峠は旧中山道と新道を走るグループに分かれて越えていきました。馬籠では藤村記念館に寄り、その先では「木曽路」の句碑と十曲峠に残る石畳を観てから木曽路のハイウェーで中津川駅まで走り抜けました。ここで名古屋の人達と別れ、筆者達の木曽路行を終わりとしました。文中には渡辺捷治氏によるこの旅の参考情報として、参考資料、宿泊料、道路状況などが囲みで紹介されています。


「遥かな尾瀬」

筆者は友人とともに東京の自宅を出発して国道17号を北上、前橋を過ぎて渋川を通り沼田に到着します。初日は、沼田街道に沿って流れる片品川にテントを設営しました。翌日は椎坂峠を越え、昼食後に吹割の滝を観てから沼田街道を進み途中にあった宿に泊まります。次の日は再び沼田街道を進み、昼頃に大清水に到着。ここで昼食と休憩を取ってから、尾瀬沼までの登りにかかります。自転車に乗れたのは最初の10分ほどで、細い登山道はずっと押し上げていきました。沼についたのは夕方で、この日はここでキャンプ泊とします。翌日は疲労の為に尾瀬ヶ原へ行くのはあきらめて帰途につきました。なお、この文は紙面の都合で後半を割愛したと編集部の注釈がついています。


「上高地・美ヶ原 紀行」

筆者は学生生活の思い出にするために上高地へ向かいます。東京から松本まで移動し、松本電鉄の終点島々から数キロ上ったところにある旅館に泊まります。翌日は上高地に向けて登っていき、上高地に入ってからも帝国ホテル、バスターミナルを過ぎ、河童橋を渡って食堂に入ります。ここで昼食をとったあとは、早目に宿へ入りコタツに潜り込みます。翌朝は朝食もそこそこにカメラを持って宿を出ます。再び宿に戻って河童橋を出発し、梓橋を渡って田代池への小径に入り、田代池から大正池と巡ってから松本へ下っていきます。松本では松本城の西にある旅館に泊まります。翌日は松本から浅間温泉を経て美鈴湖への道に入ります。ほとんど乗らずに押し上げて国民宿舎の上にでて、本郷村森林組合の有料道路を走り武石峠を越え13時半に美ヶ原高原の駐車場に到着しました。筆者はさらに王ヶ頭まで行き、景色を堪能してから山本小屋まで下って投宿します。翌日は宿を出てから自転車を担いで牛伏山に登ります。下りは登山道を慎重に走って白樺平まで行き、さらに武石村から丸子町を経由して大屋駅前から国道18号へ入り最後の目的地、小諸の懐古園を訪れます。懐古園を辞した後は国道を行って碓氷峠を下り、安中、高崎、そして日付が変わる頃に自宅に帰りついています。


「佐久甲州街道紀行」

筆者はハイカーや山男達で満員の電車に乗り、軽井沢駅まで移動します。軽井沢駅で自転車を組み立ててから小諸へ向かい、佐久甲州街道へ入ります。野辺山で宿を探しますが満員のようなので駅で寝ることとします。翌朝は早くに走り始め、佐久甲州街道を行って勝沼へ抜けます。この先も順調に進むことができたので、三日の予定を二日に短縮してこの日のうちに帰宅することとします。夕闇が迫る頃に大垂水峠を越え、都内まで入り板橋、川口、浦和を経由して夜半に自宅に到着しました。


「夕暮の鍋越峠をゆく」

筆者は出勤の支度をしていましたが、彼女の一言によって銀山温泉へアベックサイクリングに出かけることにします。二人は仙台を出発し、国道4号を北上してから国道を離れ鍋越峠を目指して西に向かいます。ペースがいつもより遅かったため峠を越える頃には暗くなっており、ダイナモを倒してのダウンヒルとなりました。二人は集落をいくつも通り過ぎ、ようやく目的地である銀山温泉に到着しました。翌朝は早く目が覚めたので自転車の手入れをし、朝食前には近所の散歩に出かけます。宿を後にした二人は尾花沢から国道13号を南下、東根市を経由して国道48号に入り、関山峠に向かいます。峠までの道は途中からものすごい砂利道となるため、最後の1時間程は歩きになりました。しかし、峠を越えると仙台までは下りとなるので、彼女はダウンヒルに勇んで飛び出していき、筆者もその後を追っていきました。


「天草一人旅」

この文は、今井編集長による天草を巡ったサイクリング紀行の連載です。筆者は九州ラリーに参加、島原での閉会式の後島原港からフェリーに乗り込み、天草一人旅を始めます。三角港でフェリーを降り、走り出したとたんに激しい北風に吹かれちょっとした坂でも降りて押す羽目になります。さらにこの日はこの冬一番の寒さとなり、天草五橋のひとつ、天門橋を渡り始めた時は長崎に戻ろうかと考えるほどでした。それでも何とか五橋を走り、一つ一つ止まってはカメラのシャッターを押しながら松島橋の近くにある食堂に入ります。ここで熱いコーヒーを飲み、食事を食べ一服してからはようやく気力が出てきて先へ進むこととします。上島を走り始めてからは道路が極端に悪くなり、また当初予定していた北の海岸通りは冷たい向かい風となったため、地図を見て山の中へ入ることにします。この日は上島の山中を一日走り、日が暮れてから本渡の街に入りました。ここでは街を30分ほど見て回ってから旅館を見つけて入ります。この夜は風呂で暖まってビールとを飲み、蟹と魚と海藻と海老の食事に満足して終わります。


「イタリヤ見聞録」

この文は、山王スポーツ社長の高橋長敏氏によるイタリア観光の記録です。筆者はジュネーブから観光バスに乗ってローマに到着します。ローマを観光したあと、筆者はアウトストラーダ・デル・ソルでナポリへ向かいます。ナポリではマーケットを見たり食事をとったりして過ごしました。移動のバスではロードレースの練習をする選手達や、レースにも出くわしました。その他にも訪問地での出来事やバスの中でのことなど、当時の旅の様子を色々と綴っています。そして、最後には訪問記とは全く関係ありませんが、オランダ選手のトレーニングを紹介しています。


「ESCA(東日本学生サイクリング連盟)に望む」

これは、3年前に東日本学生サイクリング連盟のリーダー講習会に指導者側として出席した筆者による意見文です。冒頭では、ESCAニュースの創刊号の主意書に当時の理事長であった立大生が書いたことが当時の学生達に意識されていないことを嘆いています。そして、サイクリストのあり方について筆者としての意見を述べています。


目次にはありませんが、61ページには物語の中で自転車が盛んに登場するとして、当時公開されいた映画「パリは燃えているか」を紹介しています。


「世界一周中のイギリス人サイクリスト本社訪問」

これはCTCメンバーであるイギリス人サイクリストが、ニューサイ編集部を訪れたことを紹介している記事です。その方は10年前に世界一周を始め、一旦帰国した後に再開し、日本は43か国目でこの年の8月に来日し、北海道から南下して12月初めに東京に辿り着き、ニューサイを訪問し、コーヒーを飲みながら何時間か話をしたという事です。


「シクリスム概論 自転車競技の基本」

これは鳥山新一氏の執筆による、自転車レース全般に関して根本的な問題から手掛け、客観的、体系的に整理してまとめ上げようと企画した連載です。第8回は引き続き「第一篇 基礎篇 第三章 レースの型式と種類」で、レース種目の概要を論題としています。今回は、その中からトラックレース種目の用語と概要を解説しています。まずはフランス名VITESSE(ヴィテス)、イギリス名SPRINT(スプリント)と呼ばれる種目。当時の日本では、戦前から誤ってSCRATCH(スクラッチ)と呼ばれていました。レース用語としては「スプリント」は競技種目のことであり、「スクラッチ」は発走形式を表すものであり、根本的な違いがあります。次にスプリント・レースにおける競技の特徴や競技をする上でのポイントを解説しています。


「自転車競技ア・ラ・カルト」

このページは、ベロ・クラブ・トオキョウが担当する連載です。今回は「新陳代謝」と題し、'66年が新旧交代の時期であったのではないかといって、レース界を振り返っています。これまで活躍してきたスペインのフェデリコ・バーモンテスやフランスのアンドレ・ダリガードらは最近は下り坂であるとうわさされる一方、次の時代を支える選手としてベルギーのメルクスやイタリアのジモンディらが続々と生まれてきているといいます。その一方、日本のレース界は寂しい限りで、オリンピックで活躍した選手がプロに転向してしまうと、世界共通の競技形態から外れた方向へ進んでしまう。ヨーロッパの自転車競技界は日本のそれとは底辺の広さが違い、うらやましい限りだといっています。


「レース界の話題」

ここでは、自転車競技に関する話題を取り上げています。今回は、平塚市営自転車競技場で行われたトラック競技「第9回早慶自転車競技定期戦」と、タイのバンコクで開催された「第5回アジア競技大会 自転車」の競技結果等を掲載しています。


「誰でも出来るスポーツ車のメンテナンス 第13回」

これは、横尾双輪館の横尾明氏の執筆による連載講座です。今回は「ペダルの分解掃除」と題し、ペダルの整備を取り上げています。用意すべき工具はモンキースパナ一丁としています。分解掃除の手順は、ダストキャップのはずし方からになります。ここでは専用工具が必要なものもあるとしています。以降の分解・組み立て手順は、3枚の写真とともに説明しています。


「CAMPAGNOLOの新しい製品」

ここではカンパニョーロ社のカタログNo.15に掲載されている製品から、カタログ14から特に大きく変わったものを取り上げています。ここでは最初に、一見して感ずることは芸術品のようだと言われたこの製品が、その点が薄くなり、マスプロ的になって量産向けの工作・形状になっているといっています。ここで紹介している製品は、レコード、スポルト、バレンチノスーパーのリアディレイラー、ダブルレバー、ワイヤー関係小物、エンドセット、クイックレリーズ、ハブ、ボトムブラケットセット、シクロクロス用チェンホイール等となっています。


「新製品ガイド」

こちらは自転車部品や用品などを紹介するコーナーです。今回は前田鉄工所の新しいボスタイプフリー「サンツアー・パーフェクト」、島野工業の「333 アーチェリーダブル」等を取り上げています。


目次にはありませんが、88ページには「自転車をテーマにしたアクセサリーコレクション」と題した記事が掲載されています。ここでは、編集部がコレクションしたブローチやブレスレット、ハンカチなどを紹介しています。


「PRコーナー」

このコーナーでは、カタログや書籍を紹介しています。今回は「日米富士自転車KKカタログ」「杉野ギヤカタログ」「サンツアーカタログ」と、サイクリングとスポーツ車のごく初歩的なガイドブック「丸石スポーツガイドブック」が取り上げられています。


「サイクリング東西南北」

このページは、各サイクリング協会並びに各クラブの交換の場所としてニューサイが提供しているページです。今回は各地のサイクリングクラブから寄せられた情報が掲載されています。


「交換案内」

自転車や部品の売りたし買いたしのコーナーです。今月号は、完成車やフレームの仕様を見ると、ハイテンが多い中、D²XD²を使用したものも散見されます。


1967年2月号の裏表紙広告は、日米富士自轉車の「富士キャンピングテン 富士ツアーファイブ」でした。

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