ニューサイクリング 1967年9月号(No.37)

本日の1冊

今回は「ニューサイクリング 1967年9月号」を取り上げます。

ニューサイクリングの1967年9月号は、通巻37号です。

この号の表紙は「上高地にて」です。

通巻37号の目次をページ順に追うと、

口絵 道坂峠

口絵 上高地乗鞍ツーリング

口絵 「動」二題

 22 ツール ド フランス

 28 イタリアから見たツール

 32 全国大学対抗選手権(インカレ)

 42 全国高校対抗選手権(インターハイ)

 50 シクリスム概論(14)

 54 オーダーメイド読本(5)

 58 全国サイクリングラリー

 62 えっせい 感じたこと 国立公園大会に参加して

 64 合宿日記 独協高校合宿

 66 汗の効用

 84 信州峠

 90 佐渡路アルバム

 94 ニュージーランドの旅(2)

102 あの道この道 富士街道

106 東西南北

113 交換案内

115 代理店名簿

116 編集後記

となっています。

主な記事の内容を以下にご紹介します。

※各ページの題名が目次と異なる場合は、本文の題名を表記しています。


「ツール ド フランス」

この文は、加藤一氏によるツール・ド・フランスのレース以外の面を綴ったものです。ツール開催時のコースとなる地域の気候や自然条件、毎年行われるコース誘致の争奪戦。そして、組織面がこの年から変わり国家別チーム制となったことと、それに伴いチームとスポンサー企業との間のデリケートな問題が起きたことなどを取り上げています。レースについては結果の他に、この年は10人1チームで13チーム130人の参加があったこと、成績以外の面の影響でモッタやメルクスがチームからオミットされたことや、レース中に選手が亡くなったことを伝えています。


「イタリアから見たツールドフランス」

この文は「イタリア通信」と銘うち、イタリア在住の日本人から寄せられたレポートです。ここではイタリア人目線で見たこの年のツール・ド・フランスの感想を綴っています。


「第23回全日本大学対抗選手権大会」

これは、この年の7月に静岡県で行われたインカレのレースレポートです。トラック競技は静岡競輪場で1000mタイムトライアル、スクラッチ、タンデムスクラッチ、10000mポイントレース、1000m速度競走、4000m個人追抜、4000m団体追抜が行われました。ロードレースは富士スピードウェイで120kmレースが行われました。結果は9連勝となる日本大学が総合優勝しました。


「42年度全国高等学校対抗選手権」

これは、この年の8月に福井県で開催されたインターハイのレースレポートです。初日は「第12回全国高校道路競走中央大会」として、ロードレースが福井市から勝山市を往復する109kmで行われました。このレースは国内唯一のチームロードレースで3名1チームで走ります。この日は気温33度で、風の通らないヘルメットの着用を義務付けられた選手は日射病で倒れるものも出て、出走50校中完走は34校で、45名が棄権しました。結果は福島の白河農工チームがが優勝となりました。トラック競技は「第18回秩父宮杯高等学校対抗選手権大会」として、二日目から四日目にかけて福井競輪場で行われました。競技種目は、1000mタイムトライアル、スクラッチ、ポイントレース、ミス&アウトレース、実用車4000m速度競走、4000m個人追抜、4000m団体追抜。総合成績は、大分県の日の出高校が優勝となりました。


「シクリスム概論 自転車競技の基本」

これは鳥山新一氏の執筆による、自転車レース全般に関して根本的な問題から手掛け、客観的、体系的に整理してまとめ上げようと企画した連載です。第14回も「第一篇 基礎篇 第三章 レースの型式と種類」で、レース種目の概要を論題としています。今回はロードレース種目の用語と概要の解説です。今回はレースの型式別にマスドスタートのレースとしてワンステージレース、ステージレース、クローズド・サーキット、パブリック・ロードについて解説しています。


「連載講座 オーダーメイド読本」

このコーナーは、これからオーダーをしたい、あるいはオーダーをしたけれど何となくしっくりこないという問題を持っている人達の視点で考えていく企画の連載です。第5回は「自転車の性能」のなかの身体と自転車の関係性について、ファウスト・コッピ、エルコーレ・バルディーニ、ジャック・アンクティル、リック・ファン・ローイ、当時の代表的な選手の乗車姿勢を挙げて解説しています。


「鵜飼いと花火の納涼ラリー 第11回全国サイクリングラリー」

この記事はこの年の8月に岐阜で開催された全国サイクリングラリーのイベントレポートです。800名余りのサイクリストが参加して県庁前広場で開会式が行われた後、市内パレードをして岐阜公園で昼食を取りました。その後は班別に行動して夕方宿営地となる総合運動場に集まり、入浴後は夜の自由行動となりました。翌日は班別のサイクリングとなり、解散地の大垣へ向かいます。閉会式は大垣スポーツセンターで行われ、各種表彰が行われてお開きとなりました。


「さいくりんぐえっせい 感じたこと 第九回国立公園大会に参加して」

この文は今井編集長の執筆によるもので、編集長が参加したサイクリング行事の思い出等を綴っています。今回はこの年の8月に開かれた第9回国立公園大会に参加した時の話です。この大会は参加者も主催側も運営に慣れてきており、スムーズな運営になっている。反面、形式的になっている点も見受けられました。一方で全国ラリーは毎年初めての人達が運営に当たっているので、毎年新味があるが毎年同じミスが目についたりと多少問題もある。この点は難しい問題で、経験の無い欠点があるとともに前例にとらわれない新鮮さが感じられるともいっています。


「合宿日誌 独協高校合宿」

これは東京目白にある高校の自転車部員が小諸にある学園の寮で合宿を行ったレポートです。部員のうちレース部の者は菱野温泉にある寮まで約160kmを自転車で走って、サイクリング部の者は自転車とともにバスで寮まで行きました。現地では全員でヒルクライムを行ったほか、レース部は長野市までトレーニングに、サイクリング部は上田市までのサイクリングを行いました。


「汗の効用」

ここでは汗をかくことの重要性と汗をかく仕組みについて、発汗量の具体的な数値を挙げたり発汗後の補給について解説しています。


「信州峠」

これは、丹波から山梨へ抜けて佐久甲州街道で信州峠越える様子を描いた綿貫益弘氏による紀行文です。


「佐渡路 旅のアルバム」

筆者は、佐渡までの旅の様子を文章と共に手書きのコマ地図と写真をふんだんに使ってその様子を伝えています。4月の下旬、筆者は相模湖の自宅を出発し、大垂水峠を越え八王子、高崎を抜けて横川まで走ります。翌日は碓氷峠を越えて雨が降り出すなか、軽井沢、小諸と走って信濃町まで行きます。次の日は直江津まで行くも佐渡行きの船は出た後だったので、弥彦まで走ってユースホステルに泊まります。四日目は新潟まで行ってフェリーに乗り、ようやく佐渡島に上陸します。両津港に着いた後は新穂村のユースホステルに宿泊しました。翌日は真野海岸沿いに走り、尖閣湾と巡って両津まで走って新潟に渡りました。六日目は、新潟から会津へ向かいます。国道49号を走り峠をいくつも越えていきましたが、会津の町で道を間違え山の中に入ってしまい、集落にあった民家に泊めてもらいます。次の日は五色沼でゆっくり過ごしました。翌日からは国道4号線をひた走り、途中で一泊して自宅まで一気に帰りました。


「ニュージーランドの旅 第2回」

この文は、大学生の読者による海外サイクリング紀行の連載です。前回のキャンプ場を出てからは1日に70kmから80kmを移動しながら南下していきました。しかし、1日だけ100km以上走らなければならない日もあり、これは現地ではキャンプ場以外に野外泊に適した場所がなく、キャンプ場が他にないとそこまで走らざるを得ないためです。北島ではウェリントンまで走りましたが、途中で東京オリンピックに出場した選手と出会いました。ウェリントンからは船を利用して南島へ渡ります。ここまではほとんどキャンプ泊で走ってきましたが、ニュージーランドではキャンプ場でも必ずお湯の出るシャワーが有り、またトイレにも必ず紙が置いてあり、日本との違いを感じたと感想を言っています。南島のリトルトン港に着いてからはクライストチャーチに向かいます。翌日はクライストチャーチを出て20km程走ったところでフリー側のスポークが折れてしまい、修理のためにクライストチャーチに戻り1日ロスしてしまいます。その後はトラブルなく走り、アーサー峠を越えて島の反対側になるグレイマウスまで途中休息日も入れながら移動しました。


「あの道この道 富士街道」

このコーナーは、現在でも残っている旧街道の道のりや名残などを紹介しています。今回は、中仙道の板橋宿を起点に練馬区を斜めに通り抜けて田無の入り口で青梅街道に合する富士街道を紹介しています。筆者は、この道が富士街道という名となったその由来、当時まだ街道沿いに残っていた遺構などを紹介しています。


「サイクリング東西南北」

このページは、各サイクリング協会並びに各クラブの交換の場所としてニューサイが提供しているページです。今回は、各地のサイクリングクラブから寄せられた情報が掲載されています。


1967年9月号の裏表紙広告は、日米富士自轉車の「富士キャンピングテン 富士ツアーファイブ」でした。

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