ニューサイクリング 1972年4月号(No.90)
本日の1冊
今回は「ニューサイクリング 1972年4月号」を取り上げます。
ニューサイクリングの1972年4月号は、通巻90号です。
通巻90号の目次をページ順に追うと、
10 特集 第三回クラブラリー報告
16 サイクリングレポート 雪の嶺岡林道
18 紀行 雨の厳道峠越え
33 路傍の文化財〈連載第六回〉
34 エッセイ 人物エッセイ
39 エッセイ サイクリング歳時記 さおり
40 サイクリングレポート 峠二題 松姫峠・肝要峠
44 サイクリングレポート 冬の十石峠
48 紀行 高野龍神
56 エッセイ 小さな繰りごと
58 コレクションメモ
60 パニア・バッグ
62 代理店名簿
64 編集後記
となっています。
主な記事の内容を以下にご紹介します。
※各ページの題名が目次と異なる場合は、本文の題名を表記しています。
「第三回クラブラリー報告」
この記事は今月号の特集で、港サイクリングクラブの植原郭氏による、前年の11月に長野県の下諏訪で開催されたクラブラリーの報告です。第3回のクラブラリーは問題提起という形で統一したテーマをあげ、それを中心とした話し合いの会として開催されました。ここではテーマの一つ「サイクリストのサイクリストによるサイクリストのための組織」の討議内容とその結果について報告しています。またあわせて、JCAの歴史と組織、都道府県協会のあり方についても述べられています。
「サイクリングレポート 雪の嶺岡林道」
筆者は上り下りを幾度も繰り返しながら林道を進み、やがてサイクリング・ロッジというところに辿り着きます。ここで湯を沸かして紅茶を飲みながら菓子パンに食いつきます。その後はまた苦しい登りを行き、先の下りは工事で沼地のようになっており押していく羽目に。その後は道も良くなり、林道を出た後は勝山まで下りっぱなしの道を行きました。
「雨の厳道峠越え」
この文は、筆者が前々年の夏に初めての宿泊サイクリングに出た時のレポートです。筆者は秦野の自宅を出発し、厚木を経由して上野原の食堂で食事休憩します。その後雨が降るなかを厳道峠に向けて車を進めます。やがて道は雑草に呑み込まれたようになり、その先は細々とした山道に変わりました。その道を徐々に勾配が急になるなか自転車を押して進み、とうとう峠に辿り着きます。頂上では休まず直ぐに下りにかかり、駆け降りるようにして道志街道に突き当たり、そこからあえぎながらその日の宿に辿り着きました。レポートはここで終わっていますが、最後に筆者は旅の感想を綴っています。
「路傍の文化財」
この文は、筆者がサイクリングの際に見てきた路傍の文化財を紹介していく企画の連載です。連載第6回は「如来(その二)」と題して、前回の阿弥陀如来に続いて大日如来と薬師如来ついて解説しています。
※目次では掲載が33ページとなっていますが、本文は32ページから掲載されています。
「サコン親父と僕たち」
この文は、「人物エッセイ」と称した高橋長敏氏によるエッセイです。今回取り上げている人物は左近光三氏です。その内容は東京サイクリング協会にまつわることや、氏の持つユーモアについて綴っています。
「サイクリング歳時記〈1〉 さおり」
このコーナーでは、当時のその時期ごとに話題になったり注目された言葉について解説をしています。今回は当時子供の名前で多く見られるようになっていた読み「さおり」についてその由来等について解説しています。
「サイクリングレポート 峠二題 松姫峠」
筆者は1月に友人と共に奥多摩駅からバスで峰谷橋まで行き、ここからサイクリングをスタートします。北側や影で所々凍っている九十九折れの道を進むとやがて直線状の道となり、前方に柱が見えてきます。松姫峠にはその名の由来が書かれた石碑があり、そこで紅茶を沸かしたり写真を撮った後、猿橋まで下っていきました。
「サイクリングレポート 峠二題 肝要峠」
筆者は友人と共に日出近くに自宅を出発して甲州街道を走り、奥多摩方面へ向かいます。立川、五日市と過ぎて登りにかかるあたりからアイスバーンとなり、ギアを落としてそろそろと進みます。大岳鍾乳洞の小屋で休憩した際に聞いた話で大岳山に登るのはあきらめて、鍾乳洞を見学した後は武蔵岩井、細尾、肝要と走って肝要峠を越えます。その後も梅ケ谷峠と小峰峠を越えてから八王子に抜け、あとはルート20を走って自宅を目指しました。
「サイクリングレポート 冬の十石峠」
筆者は1月4日の0時に仲間と集まり、正丸峠を越えて小鹿野の旅館に泊まりました。翌日は志賀坂峠を越えて浜平温泉まで進んでから宿に入りました。翌朝は日の出前から走りだし、途中の家で暖まらせてもらいながら進んで上りに入っていきます。峠への道は倒木やがけ崩れがあり通るのに苦労しましたが、このおかげで車が1台も来ないサイクリングを満喫します。道を登り進めるうちにとけ始めた泥に悩ませられながらもとうとう十石峠に辿り着きます。峠の頂上は寒風が吹いていたため早々に下りにかかり、途中の炭焼き小屋で餅を焼いて食べてから先へ進みこの日の宿となる羽黒下の旅館に落ち着きました。
「高野龍神」
この文は、綿貫益弘氏によるサイクリングエッセイです。筆者は夜の新幹線で京都まで移動し、祇園の下宿に転がり込みます。翌日は取材仕事をして友人の下宿に戻り、翌朝から南紀へのツーリングに出かけます。南部駅で降りて自転車を組み立て、昼近くから走り始めます。最初はのどかな田園風景でしたが、やがて様相が変わり山の中を登っていきます。途中で昼食を食べ、夕暮れ時まで走って龍神温泉に宿を取ります。翌朝は早起きして出発し、林道高野・龍神線を登っていきます。乗ったり押したり途中で弁当を食べながら上って行き、切通しを抜けると真っ白けの雪景色となりアイスバーンの道をヒヤヒヤしながら下っていきます。道はやがてはだら雪から泥道となり、ドロヨケのつまりをかき落としながら進みます。高野を目指して進みますが途中から雨が降り出し、半分ハンガーノックになりながら町に辿り着き、万屋で菓子パンをあるだけ買って食い散らかします。やがて遅れていた友人も到着、道ばたに座り込んでアンパンにむしゃぶりつきました。
「小さな繰りごと」
この文は、筆者がサイクリング中に感じたことや、愚痴等を色々と綴っているエッセイです。
「コレクションメモ」
このコーナーでは、自転車に関する雑貨類を紹介しています。今回は、男女がタンデムに乗っている壁掛け、針金細工のブローチ、だるま自転車の前輪が鏡になっている姫鏡台、マエダ工業の記念品のネクタイピン等を紹介しています。
「パニア・バッグ」
このコーナーは、読者に開放されているページです。今月号は読者からの質問、ステムとサドルについて、ランドナーについてとそれに対する回答と、紀行文には日付がついていると参考になるので筆者に働きかけてほしいとの要望が寄せられています。
1972年4月号の裏表紙広告は、自転車産業振興協会の「ジャパンバイシクルショー」でした。
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